【第9回】
~ 赤ちゃんと笑顔 ~
入選
大切な学びをありがとう
東京都 看護師 29歳
9月に入ったばかり、まだまだ暑く、空調設備の整う病室でも、窓から差し込む強い日差しで、汗がにじみました。7年前、白衣に水色のエプロンをつけた私は、看護師を目指す学生でした。優しく甘い石けんの香りが広がる病棟で、一人の妊婦さんに付き添わせて頂き、産科実習をしました。
実習初日は、産科外来実習から始まりました。問診票に「最近少しおなかの張りが気になります。」と書いた初産の妊婦さんと出会いました。おなかの赤ちゃんがモニターに写り、元気な心臓の音が聞こえました。問診票に書かれていた通り、おなかには張りがあり、急遽、入院が決まりました。車椅子を押しながら、「何もかも初めてで不安なの。」と話す妊婦さんと共に、私は病棟へと向かいました。
入院中の妊婦さんと私は、新生児室で可愛らしい寝顔を見せてくれる赤ちゃんたちを覗きながら「出産は不安だけど、赤ちゃんに会えるのは楽しみ。」とおしゃべりするのが日課になっていました。入院3日目、妊婦さんが予定日よりも少し早く陣痛を迎えました。
陣痛は、だんだんと強くなり、間隔が短くなっていきました。妊婦さんに付き添い、一緒に分娩室へ入りました。痛みと不安で辛い妊婦さんの横で、学生の私にできることは何もありません。ただ、妊婦さんの横にいて、陣痛の痛みで汗ばんだ顔をタオルで拭くことしかできませんでした。
スタッフみんなの「がんばれ!」の声と共に、元気な赤ちゃんが生まれてきてくれました。時刻は朝の8時を回り、また暑い一日が始まっていました。「おめでとうございます。」共に夜通し過ごしたスタッフが、皆お母さんに声を掛けていました。私も「おめでとうございます。」と伝えたかったはずでしたが、涙があふれて「ありがとうございます。」としか言えませんでした。赤ちゃんのお母さんは、涙の浮かんだ笑顔で「ずっとそばにいてくれてありがとう。手、痛かったでしょ。ごめんなさいね。」と、私の赤くなった左手を両手で握ってくれました。
看護師のみならず、人に携わる職を目指す人ならば、みな通ってくる実習という時間。今になると真っ先に思い出すのは大変だったことばかり。けれど、このお母さんと過ごすことの出来た時間だけは特別です。7年経った今でも、この時の記憶が大きな感動と感謝の気持ちと共に、鮮明によみがえります。病院という空間の中では、「生」の存在を時として強く感じなければなりません。生まれくる命、生きつづける命。人として一人一人の持つ「生」を学べることは、とても貴重な時間です。その中でも、私がこのお母さんと共に体験させて頂いた「生」は、私自身の人生にとっても大きな意味があります。看護を続けていたいと思う気持ちが、その一つです。もしもどこかで、このお母さんにお会いすることがあったら、私はもう一度「ありがとうございます。」と伝えたいと思っています。