【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~
入選
パパになるってすばらしい
埼玉県 公務員 46歳
長男のときもそうであったが、その日は唐突にやってきた。
「今日産まれるよ」
自信たっぷりに妻は言う。「エッ、待ってよ」予定日はまだ二週間以上先だし、ちっとも苦しそうじゃない。陽もすっかり落ち、食後横になった妻。静かに寝息をたてている。
やはりまだのようだ、と洗い物にかかっていると、突然妻は起きだして部屋の掃除をはじめたではないか。何で今?掃除は昼にするものだろう。「明日やるからいいよ」という私の言葉などどこ吹く風で、あちこちと動いている。お世辞にも片付いているとはいえない我が家をきれいにし終えたのは十一時すぎのことであった。三歳になる息子は天下泰平、大の字になっている。完全に行く気になっている。
私の脳裏には、夜中に起こされた先生の機嫌の悪い、怖い顔が浮かび上がる。
「やっぱりまだじゃないの。明日の朝行こうよ。俺も休みだし。もう寝たほうがいいよ」
それでもまだ妻はいく気満々。赤ちゃんが「出てくるよ」と言っているのだそうだ。
そして、ついに片づけが終わると、実家に電話をかけた。
「今から病院にいきますから、申し訳ありませんが義男の面倒をお願いします」
いつの間にか昼のうちに頼んであったようだ。程なく両親が到着し、私は車を病院に走らせた。またも先生の怒り顔が頭をよぎる。
もう一時を回っている。病院に着くと、私が狭い駐車場に四苦八苦している間に、妻はすたすたと、玄関に吸い込まれていく。受付で追いついてみると、やはり当直の看護士さんの機嫌はよくなさそう。あまりにも軽やかな足取りでやってきたからだろうか。だからいったじゃないか。
看護士さんは、とりあえず妻に診察室に入るよう促すと、眠そうに一度あくびをした。そして5分もたたないうちに私のもとへ戻ってくるなりこう告げた。
「これから産みますから」
慌てたのはこちらの方。長男のときも予定の二十日前に突然破水してあれよこれよというまのご対面であったが、産む直前はもっと長く苦しむはず。テレビの嘘つきなどと考えているうちに、先生がバタバタとやってきて、あっという間に、全開の泣き声が病院中に響き渡った。
そして、五日後我が家は再び大戦争に巻き込まれた。高等学校教師の私にとって、夏休み中は休暇ではないものの、学期中の勤務とは肉体的にも精神的にもゆとりがあることは間違いない。長男のとき、妻は「自分でなければ赤ちゃんは世話できない」と思っていた節がある。事実、父親の自分が、夜鳴きする我が子にミルクを飲ませようとしても少ししか飲まず、あやしてもあやしても収拾がつくことはなく、結局妻に頼るしかなかった。
しかし、さすがに二人目ともなると余裕ができるのだろう。妻は、ときどきタヌキではなく、本当に起きなかった。「すぐに飲んでサッと眠りにつく」そんなことは稀であった。ゲップを出させようと背中を叩けば、逆流したミルクを頭からかぶり、いいかげんにセットしたオムツから汚れ物があふれてきたりと、多くのハプニングを経験したが、たぶん妻にとって3割くらいの負担軽減につながったのではないかと自負しているし、この経験があったからこそ、自分も父親としてまた、人間としての成長があったと思う。
子供はすっかり大きくなり手がかからなくなりホッとしているが、もう一度、あんな夜を過ごしてみたいと思う気持もまた本心だ。パパになるってすばらしいことなんだ。