持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~

入選

幸せの光景

東京都  主婦  33歳

その日も遅くまで仕事をしていた。残り2本になった煙草のパックを手にベランダへ。1本目を吸った時、ふいにあるイメージが頭を過ぎった。小さな子供が煙にむせぶ姿だった。“着床の瞬間がわかりました”などというにわかに信じがたい話を耳にした事はあったが、まさか自分にそういったことが起こるとは思えず、ひとまず気にしないようにした。しかし、続けて最後の1本を吸った時、ますます強くなるそのイメージは、今度は腹の底あたりから沸きあがってくるように感じられた。とにかくこれを機に、前からいつかはと思っていた禁煙を心に決めてみたものの、どうにも妙な気持ちを抱えたまま数日後。本当にお腹に命を宿していることがわかった。そんな小さな小さな頃から、わが子は実に大きな存在感で私のところへやってきた。
彼女がお腹にいるとき、私はいつも誰かが一緒にいてくれる安心感に包まれていた。とても心強かった。包んでいるのは私の方なのにである。臨月の頃、もう間もなくお腹から出て行ってしまうと思うと、とても淋しくなって泣いてしまうことすらあった。そんな私を心配してか、彼女は予定日よりも少し早くに出てきた。
無事に出産を終えて過ごす病院での日々の中で、とても幸福な光景を目にすることになる。私はそれを“幸せ工場”と名付け、一日一回見られるその光景をとても楽しみにしていた。毎朝、母親たちは朝食を摂り身支度をする間赤ちゃんを預けるのだが、預けられていた赤ちゃんたちが沐浴を終え、迎えに来る母を待つ間、コットに乗せられ並んでいる様子である。
コットの上にはほんのりピンクに色付けされたつきたてのお餅のように、ほんわりと上気した赤ちゃんたち。ほこほこと湯気がたちそうなその様子の、なんと愛らしく平和な幸福感に満ち溢れていることか。中には母恋しいのか泣いている子もいるのだが、沐浴の後の気持ち良さにウトウトとまどろんでいる子が多く、それがますます幸福感を強くしていた。奥を見ると今まさにできあがらんばかりの沐浴中の赤ちゃんの姿。そして幸せ工場の生産ライン上にわが子を見つけたときの嬉しさは、眠れぬ日々の疲れも身体の痛みもしばし忘れさせてくれた。
そんな幸せ工場の様子はかつて見た光景を思い出させた。
駅を出発しゆっくりとスピードを上げていく電車の中から見た光景だ。線路傍の駐車場。柔らかな秋の陽射しのもとで一列に並んで毛づくろいする4匹の猫の親子の姿。手に届きそうで届かないところにある幸福。目に焼きついた光景はいつしか私の中で幸せの象徴となり、勝手につくった幸せランキングなるものの1位を不動のものにしていた。ところが、先の“幸せ工場”が1位にとって代わり、今ではこのランキングはことあるごとに更新されている。
初めて見るもの触れるものを、文字通り目をキラキラさせて見つめる様子。一人で歩くことが出来た喜びで溢れ出しそうな満面の笑顔。親子で昼寝の昼下がり、気持ちよく吹きぬける風。彼女がつくり出すたくさんの幸福な光景を見ているうちに、いつしかふと、自分自身もその光景の中の住人であることに気づき、しばし涙が止まらなくなる。
子育てが楽しいことの連続ではないことはきっと誰もが実感しているだろうと思う。自らの未熟さに気づかされて落ち込んだり悩んだり。社会から取り残されたような寂しさと焦燥感。絶え間なく要求される親としての責任の重さ。それでも自分が幸せだと感じられるのは、誰よりも自分を愛してくれる存在を得たから。そして何よりも、誰にはばかることなく世界で一番に愛せる存在を得た喜びが、ぬくもりとなって私を包んでくれているからだ。あの時のように。(1500字)

ページの先頭へ

電話をかけて相談・問い合わせる

お問い合わせ 0120-01-5050
(9:00~17:40 土、日、祝日、会社休日を除く)

PCサイトを表示する