【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~
入選
ありがとう、赤ちゃん
北海道 無職 27歳
妊娠した妹が実家に帰ってきた。
「夏が予定日だから、涼しい北海道で産んだほうがいい」
そんなことを口にしていたそうだが、あくまでも表向きの理由にすぎないだろう。
初めての妊娠・出産・子育てへの不安、というのが本音だと思う。
夫が仕事に出かけてしまい、一日の大半を一人で過ごすことを考えると、これらの不安を抱えるのは酷である。
やはりだれかがそばについていたほうがいいし、経験者である母がいる実家に帰るのは、しごく妥当だといえる。
もっとも、妹はそんな態度をおくびにも出さない。第一声の「ただいま」だって、まるでちょっと出かけて帰ってきたかのような調子だ。出迎えるこっちのほうが、ぎこちなくなってしまった。
こうして、一人暮らしをしていた妹を加えた生活が久しぶりに始まったのだが、兄であるぼくは、気まずさを感じていた。
別に妹と仲が悪いわけでも、花嫁の父親のような感傷を抱いていたわけでもない。
それは、新たな生命をその身に宿し、希望に満ちあふれた妹に対し、いまだ無職で絶望のふちに立たされた兄、という明暗のコントラストからくるものであった。
ただでさえ、定職につけず実家にいることを引け目に感じているのに、さらにプレッシャーを受け、ぼくはいたたまれなくなる。何社もの入社試験に落ちて暗くなった気分をますます暗くさせられる。そんな状態だった。
しかし、妹の妊娠――つまり赤ちゃんの存在が、ぼくを絶望の底に落としたのである一方、ぼくを明るい希望の世界に引きずり出してくれたのも、赤ちゃんであった。
妹が赤ちゃんを出産すると、その日からぼくの生活は一変した。
産まれてすぐ、「抱っこしてみる?」と妹が言ってくれたので、ぼくはありがたくそうさせてもらうことにした。
とはいえ、落としたりでもしたら大変だし、まだ首が座っていないから、しっかり抱いてやらなければならなく、難しい。重圧を感じながら、おそるおそる抱っこした。強く抱きしめすぎてもいけないので、まるでガラス細工にでも触るように、そっと抱えた。
抱っこしてみて驚いた。赤ちゃんが意外と動くことに気付く。まるで腕から逃れようとしているようで、うねうね動くのである。
びっくりすると同時に、生命の神秘を思い知らされた気分だった。
「何を高尚なことを言っているんだ」と自分でも思うくらいだが、本当にそうなのである。
苦しい表情をしながらも、うねうね動く赤ちゃんに――必死で生きようとする生命に、ぼくは感動を覚えずにはいられなかった。
「何をくだらないことでくよくよしているんだ。また、がんばればいいじゃないか」と、ぼくに元気をあたえてくれる気がした。
それに何といっても、いやされる。どんなにイライラしていても、心がおだやかになるのである。表情・動き・泣き声、すべてが愛らしい。
数日生活を共にしているうちに、ふと気付いたことがあった。泣き声が「ウエーン」と聞こえるのである。今までだと「オギャー」とうるさく感じており、電車などで泣いている赤ちゃんを見ると、ぼくは不機嫌になっていたものだ。
これもまた驚きである。よく、母親が赤ちゃんと一緒に成長する、なんてことを聞いていたが、こういうことなのかと感心した。ぼくも赤ちゃんに、人間として一回り大きくしてもらったのだな、と感じた。
妹はあと数週間で夫のもとへ帰っていくだろう。もちろん、赤ちゃんも連れて。そして数年後、里帰りしてきたとき、大きくなった赤ちゃんに、ぼくは、「ありがとう」と言いたいと思っている。