【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~
入選
4番ピッチャーパパ
新潟県 会社員 34歳
誰しもが持っている生活上の役割。父親、母親等の家族内での役割は、もっとも身近なそれである。
妻と結婚して2年間、彼女はしっかりと私の妻であった。とりとめて賢妻というわけではないかもしれないが、大きな失敗などしない、いわゆる普通の嫁さんであり、誰の目から見てもその役割は大方こなしていた。
長男が産まれ、私の妻は母になった。それは華麗に!
彼女のお腹が大きくなり始めた頃から、若干その素振りを見せていたのではあるが、われらの分身がこの世界にひょっこり顔を出した瞬間、それは見事に「妻から母へ」の変身を遂げたのである。誕生したばかりのわが子に愛おしそうに初乳をあげる姿は、神々しささえ伺えるほどに、まさしく母であった。
また、日を追うごとに、妻はいっそう母であり、そして、産まれて間もない長男の役割は「赤ちゃん」であった。赤ちゃんは、われわれにたくさんの喜びを与えた、と同時に周りの大人たちを大いに困らせた。それは彼なりに自分の役割を理解してのことなのかもしれない。眠い目をこする母におっぱいをねだり、黙ってうんちをし、時にはグズグズいつまでも泣いた。そして特に始末の悪いことには、不意にわれわれに無垢な笑顔を振りまく必殺技を持ち合わせていた。忙しい中オムツを換えさせて、ニコニコ。夜中におっぱいを飲んでニコニコ。ぐずった挙句、お風呂で結局ニコニコ。それは必ず、彼の世話をする大人の疲労が、もっとも蓄積された時にやってくる。どんなに困っていても、それをされると誰もこの暴君には逆らうことが出来ない。まるで彼はその行為が、周囲をひれ伏すに十分な効果を持っていることを知っているかのようでもあった。
月日は経ち、暴君の威勢に、周囲がますます圧倒され始めていたある日、我が家に長女が誕生した。妻はこうなると、母以外のなにものでもない。2人のネロに振り回されながらも、彼女の母っぷりは、もはや一人前だった。そんな中、我が家のたった一人の赤ちゃんであったはずの長男は混乱していた。暴君は自分ひとりで十分だったからである。彼の欲求は今までよりかなり抑圧され、いまだに母にねだっていたおっぱいは、その多くをもう一人のわがまま者に占領された。彼は今まさに、赤ちゃんから兄への転身を余儀なくされていたのである。
そして最近、長男は少しずつではあるが「兄」という役割へのステップを踏んでいる。新たに赤ちゃんを襲名した長女のオムツ換えを手伝い、大好きな母のおっぱいも、「順番!」と自ら妹に譲る度量の深さを見せている。このままいけば近いうちに、彼は完全に兄になってしまうだろう。それは、私にとって嬉しさと、頼もしさ、複雑な寂しさを伴うものであるのだが。
そして今、あらためて自分自身を考えてみる。私は果たして、自分の役割というものを果たせているのだろうか。それぞれが母、兄、そして産まれたばかりの長女でさえ「赤ちゃん」として立派に頑張っているのに。そういえば、父というポジションは野球で言うとピッチャーだと、学生時代の友人が言っていた。どう投げるかは別としても、私は果たしてマウンドにすら立てているのだろうか。
美里、心之助、音芽、パパはお前たちとキャッチボールくらいやれているか?