【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~
入選
「リカちゃんハウス」の野望
福岡県 テープリライター 43歳
(しばらく赤ちゃんを宿していないから、なんだかおなかが寂しいなあ。)
そう思ったのは、2人目の出産から3年ほど経過したときだった。
妊娠中は自分の中に自分じゃない存在があり、ぽこんとおなかを蹴ったりして自己主張をするのが愛おしかった。さらに、生まれてくれば泣いて、笑って、飲んで、眠って、必死の形相でウンチする。その一挙手一投足すべてが愛らしかった。
しかも「寝たきり赤ちゃん」が、1年も経てば自分の足でしっかりと大地に立ち、一歩一歩全霊を傾けるように歩き始める不思議。出産前後の2年間は、まさに魚類から人間へ、人類の進化の歴史を目の当たりにするようで、非常に感動的な体験をさせてもらった。
もう一度あの感動を味わいたいと思っていたら、その夏(たぶんキャンプ場の満天の星空の下で)3人目を授かった。
「男でも女でも、無事に生まれてくれたらどちらでもいいんだけど。」と、人には言いつつ、(できれば女の子がいいな)と思っていた。
その時点でわが家の家族構成は男が3人、女が1人。圧倒的に男チームが優位にあった。わたしの味方がほしいという思いもあったし、実は人には言えない密かな野望もあった。
その野望とは、娘を授かったら一緒に「リカちゃんハウス」で遊ぶことだった。
わたしはリカちゃん人形が大好きな子どもだった。お隣のカオリちゃんは憧れの「リカちゃんハウス」を持っていたけれど、わが家は貧しくて買ってもらうことは叶わなかった。そこでわたしはボール紙で「リカちゃんハウス」を手作りして遊んだのだった。
大人になった今では、時代を超えてさらにバージョンアップした「リカちゃんハウス」を手に入れることも可能になった。あとは娘の誕生を待つばかりだった。
出産予定日は4月上旬だった。予定日の前々日には長男の小学校の入学式、前日は二男の幼稚園の入園式が控えていた。(お兄ちゃんたちの入学、入園を見届けさせてね)そう祈っていたらおなかの子にちゃんと通じたのか、入園式の最中に陣痛は始まっていたけれど、生まれたのはそれから3日後だった。3人目にしてやっと授かった待望の女の子だった。
至福の時間が訪れた。リビングに赤ちゃんがころんと転がっているのは、なんと幸せなことだろう。部屋に足を踏み入れると甘い匂いがする。ほっぺやおしりのぷよぷよとした感触。映像や音声のように記録に残すことができないからこそ、それはかけがえのない愛おしさだった。
同じ親から生まれても子どもは一人ひとり違うから、わたしの子育ても毎回違った。
初めての子育ては不安だらけだったけれど、若さと体力でカバーできた。2人目のときは、甘えん坊でこなき爺のように背中から離れない二男をおんぶし、長男を追いかけて駈けずり回る日々を送った。3人目となる娘はよくしたもので、加齢によるわたしの体力の衰えを案じるかのように育てやすい赤ちゃんだった。
赤ちゃんは生まれてわずか1年の間に、たくさんの幸せを親に与えて一生分の親孝行をしてくれると思っている。わたしはおそらく最後となるであろう子育ての一瞬一瞬を愛しむように、娘との日々を大切に過ごした。
今になってただひとつ残念なのは、10歳になる今日まで、娘がまったく「リカちゃんハウス」に興味を示さなかったことだ。
(仕方がない。孫の誕生を待つか。)いつ来るとも知れぬ未来を思い描く。わたしの野望は今も失われることはないのだった。