持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~

特別賞

胎内からのテレパシー

長浜 州 鹿児島県  無職  60歳

「今度は逆の左半身がマヒしていますね」
私は生きる望みを失いかけていた。脳梗塞で入院し、まもなく退院と思っていた矢先、再発を医者から宣言されたのだ。
腕はあがらず、指も曲げられず、加えて立ち上がれない、うまく話せない、水をうまく飲めない、体温調節もままならない・・・とないないづくしで途方に暮れていた。
再発したら助からないと聞いたことがあった。病のせいもあり、大変落ち込み、ストレスと恐怖で何もかもが上の空。本気で死を覚悟するに至っていた。
そんな絶望のふちにいたとき、飛び込んできた知らせがあった。
「妊娠したみたい」と娘から妻に電話で妊娠六週目との一報が入ったのだ。
それを伝えてきた妻を見て、うまく話せない私は絶句。ただただ号泣するしかできなかった。
そして少し落ち着いてから、妻がこう提案してきた。
「孫がいつ産まれるか、数えてみましょうよ」妻が病室のカレンダーを片手にカウントコールをはじめた。
「一、二、三、四週で一ヶ月」
そのコールにあわせてうなずきながら親指を折る私。
「一、二、三、四週で二ヶ月」次は人差し指。
「一、二、三、四週で三ヶ月」中指。
次々と十月十日を数え終えた時、突然妻が
「あっ」
と声をあげた。
「お父さんの左手の指が全部曲がっている!」
そう叫ぶ妻は振るえながら、私の左手を指差している。実は妻も私も左手がマヒしていて指が曲げられなくなっていることを忘れていたのだ。だが、しっかり五本とも指が曲がったのだから不思議だ。
「ミラクルだね。マジックフィンガーね。」
その日以来、それまでリハビリしても曲がらなかった指はすっかり動くようになったのだ。胎内から孫がテレパシーを送ってくれたに違いない。
「死んだらダメ、あきらめちゃダメ、おじいちゃん。秋に会おうね」と。その時まだ見ぬ君の声がはっきり聞こえたんだ。そしてその瞬間、絶望から一転、リハビリに本気で取り組む前向きさを取り戻したんだ。
世界中の誰よりも君に会いたい。それを生きて直接君に伝えたくなった。
それから無事私も退院。あのミラクルな出来事から半年後、娘がお産のため里帰りしてきた。家族でゆったりした時間をすごしながら孫の誕生を待ちわびた。そして二〇〇七年十一月二十一日。待望の初孫である男の子が誕生。偽りのない透き通った心で生きていって欲しい、と透也(とうや)と命名。初めて抱いた透也、君の鼓動は半年以上たった今でもはっきりこの手に残っているよ。そして沐浴後のいい香りが漂う気持ちよさそうな君に、ずっと頬ずりしていたんだよ。ママがお手上げのときでも、夜泣きする君に、州じいちゃんが声をかけると不思議と泣き止むんだ。君と私、二人は出会う前から不思議なテレパシーでつながっていたんだもんな。
今、私の心は安らかである。発症後の自分の置かれた状況はある意味〈どん底〉であるはずなのに、君を思うだけで実に穏やかな気持ちになるのである。
実は、あと十日もすれば、東京に住む透也と娘が飛行機でやってくる。久しぶりに透也に会える日を待ちわびるがあまり、ペンをとりながらも落ち着かない私。そしてその隣には孫に着せよう、と洋服を仕立てている妻がいる。
生きる望みを教えるために、私たちのもとに生を受けた透也よ、君の笑顔がいつまでも途絶えることがありませんように。

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