【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~
特別賞
抱きしめて。
国本ひさえ 兵庫県 主婦 34歳
陣痛72時間以上。
分娩15時間。
初めての出産は、驚くほどの難産だった。
地獄のような苦しみに、途中で何度も、泣き叫んで暴れたくなった。
それでも、お腹にいる赤ちゃんの、力強い心音に励まされながら、
まるで永遠に続くかと思えた、あの辛い時間を耐え抜いた。
想像を絶する苦しみの末に、産まれて来た我が子。
これがまた、私の予想を遙かに上回るほどに、愛しい存在になったのである。
初めての育児。
戸惑ったり、迷ったり・・・。なんてこと、実は意外に少なくて。
3時間おきの授乳も、一番眠い時間を狙ったかのように、容赦なく大音量で響き渡る夜泣きも。
さほど苦にならなかった。
私にとっての息子は、ただただ可愛い。
ほんとにもう、好きで好きで、しょうがない。
しかし・・・。
そうも言ってられない時期が、やって来たのである。
1才8ヶ月にさしかかった頃。
食事も、「いやーっ!」
お風呂も、「いやーっ!」
お出かけも、「いやーっ!」
オムツを替えるのも、「いやーっ!」
ああ、これがいわゆる、「イヤイヤ期」というやつ。
気に入らないことがあると、私の顔を、思いきり叩いて来る。
バチン!と、目や鼻に平手が入る。
こ・・・この野郎・・・。痛いじゃないか!
ああ、どうしよう。
こんなに大好きな息子なのに、たまに本気で腹が立つ。
しかも困ったことに、私のお腹に第二子が宿ったのだ。
お腹の子には申し訳ないが、正直思った。
「何故こんな時に・・・。」
息子のイヤイヤ期に、悪阻が加わった。
私のイライラに、拍車がかかる。
そんな、ある日の食事中。
おかずを、お皿ごとひっくり返された。
息子が好きな、野菜のポトフ。
食べやすい固さに、じっくり煮込み。
熱いと食べてくれないので、適温に冷まして出した一皿。
悪阻の、吐き気と倦怠感に耐えながら、それでも手間をかけて作ったのだ。
それを、目の前で、ひっくり返された。
バシャン!
無惨にも飛び散った、野菜とスープ。
自分の中で何かが切れてしまった。
感情に任せて、息子の手を叩いた。
ぺちっ!と、大きな音がした。
「なんで、こんなことするのっ!!」
大声で、1才児を怒鳴り散らす私。
「いやーっ!いやーっ!」
ただただ、泣き続ける息子。
「何がいやなのっ!」
そんなこと、答えられるわけないのに。
「イヤイヤばっかりで!
ママは、何が嫌なのか分からないよ!ママの方が嫌だよ、もう!」
情けない。もう泣きたい。
「ママ・・・いや・・・。ママ・・・いや・・・。」
その時息子が、私を見上げて、こう言った。
まだ話せる単語なんて、いくつも無いのに。
必死に、気持ちを伝えようとするように。
「ママ・・・いや・・・。」
そう言いながら、私に抱きついてきた。
「いやいや、ママ、いや・・・。」
涙が出た。
そうか・・・。嫌なのは、ママか。
いらいらして、怒っている、ママが嫌なんだ。
息子は、妊娠した母親の、微妙な変化を感じ取っていたのかもしれない。
我が侭の一因も、そこにあったのだとしたら・・・。
なんてことだろう。
ずっと一緒に居ながら、そんなことにも気づかなかったなんて。
「うん、ごめん。ごめんね・・・。」
ぎゅっと、息子を抱き返したら。
さらに強く、ぎゅーっと私にしがみついてくる。
さっきまでの負の感情が、嘘みたいに去っていった。
逃げ出したいと思っていた私を、この小さい腕が、一瞬で連れ戻してくれた。
ああそうか。
これ、抱きしめてるんじゃなくて、抱きしめてもらっているんだ。
それ以来、何かふっきれたのか。
私が、イライラすることもなくなり。
息子の「イヤイヤ」も、少し落ち着いた。
悪阻で気持ち悪くて、ぐったりしている時には、
息子に、ぎゅーっしてもらう。
すると、本当に楽になるから不思議だ。
壮絶な陣痛を乗り越えて、初めて触れあった、カンガルーケア。
あの瞬間からずっと、私は息子に抱きしめてもらっている。
息子よ、お前は偉大だ。
ママを、ママでいさせてくれて、ありがとう。
これからも、ずっとずっと大好きだよ。