持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第8回】
~ 赤ちゃんとわたし ~

大賞

朝日のように

142票 出口敏行 福岡県  会社員  41歳

昨年の9月、第2子を妊娠中の妻に
切迫早産の危険があることがわかり、
緊急入院することになりました。
突然の展開に驚く私と5歳の娘。
幸い、妻の病状は落ち着きましたが、
出産までの3ヶ月間、入院し続けなければなりません。
翌日から私の生活は一変しました。
朝は娘の幼稚園のお弁当を作り、送迎バスに乗せて、出勤。
夜は残業せずに早く帰り、娘を風呂に入れて寝かしつける。
この地道な重労働に私はへとへとになりました。
妻がいかに娘、そして、私を支えていてくれたのか、
初めて気付くことができました。
また、はじめのうちは気丈にしていた娘も、
ある夜からママがいなくてさみしいと泣くようになりました。
泣きつかれてやっと眠る、そんなかわいそうな夜が続きました。
しかし、妻から、
「あなたが泣くと、赤ちゃんがびっくりして出てきちゃうわ。
頑張って」
と励まされると、口をへの字に曲げながらも、
「さみしくないもん。泣かないもん」と涙をこらえました。
妻は切迫早産を防ぐ薬を投与するため、
点滴の管に24時間つながれていました。
ベッドから動くこともままならず、
心身のストレスで気持ちが不安定になっていましたが、
娘の手作りのお守りと励ましで、
明るく前向きに出産と向き合うことができました。
私たち家族は、それぞれがそれぞれを励まし合いました。
今は大変だけど、きっと元気な赤ちゃんが生まれてくる。
新しい家族のために、この苦しい時期をみんなで乗り切ろうと。
そして、ついにその日は来ました。
入院から3ヶ月後の12月7日。
携帯に妻からの「生まれるよー!!」というメールが入り、
私は仕事場から病院へタクシーで直行しました。
病院に着くと、親戚に連れられた娘が来ていました。
「パパ、生まれたよー!!」
すでに赤ちゃんは帝王切開で取り上げられた後でした。
おそるおそる保育器に近づくと、その中には、
「出口ベビー」と書かれたプレートを足に付けた、
小さいけどとても健康そうな赤ちゃんがいました。
女の子です。
私にはその姿がぴかーっと光り輝いて見えました。
これまでの苦労やつかれが一瞬で吹き飛びました。
「パパー。赤ちゃんって、まぶしいねー!」
娘も同じことを言いました。
赤ちゃんの名前は、妻と話して、
「朝陽(あさひ)」にしました。
入院した3ヶ月の間、赤ちゃんが無事に生まれてくるようにと、
妻が病室の窓から見える朝日に、毎朝祈り続けたからです。
現在、朝陽は8ヶ月。
やんちゃすぎるほどの元気さと人見知りしない笑顔で、
我が家を明るく照らしてくれています。
パパもママもお姉ちゃんも、ずっと君を待っていたよ。
生まれてきてくれて、本当にありがとう。

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