【第7回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
父親の44時間
宮城県 会社員 40歳
午前二時。仮眠に入ろうとしていた私たちの部署に、装置故障のアラームが鳴った。今日は比較的静かな夜勤だったので油断していたが、
「ああ、これで今日は仮眠なしか」
と言ったO君の言葉は正しかった。閉じかけたノートパソコンに再び電源を入れ、我々三人は、苦笑いしながらWindowsのロゴが静かに現れるのを待った。インターネットの装置はだいたいが二重化され、ほとんどの故障はお客さんの通信に影響がないが、だからといって放っておくわけにもいかない。ぶーぶー言いながらも、そこはみんな真面目だった。
修理が終わったのは夜がすっかり明けた頃だった。眠い目でみんな外を見た。こんな日は、早く帰って泥のように寝るに限る。洗面道具をロッカー室に取りに行きながらそう思った。そしてロッカーにしまってある携帯をふと見た。メールあり。私は一気に緊張した。メールを開くと妻からで、『陣痛の間隔やばし。早く来てね』。寝不足の頭で考えた。何時の飛行機に乗ろう…
妻は実家にいる。場所は北海道の端っこだ。ここからだと飛行機を乗り継ぐので一日がかりになる。朝一番の飛行機に乗って、着くのは夕方だ。間に合うのだろうか。私はとりあえずその日は朝八時に『早退』した。
いったん家に帰り、車で出発した。車を有料駐車場に置き、カウンターまでダッシュした。時間が無い。何とか搭乗券を手にし、搭乗口に向かおうとした刹那… ない。携帯がない。確かに持って来たはずの携帯が。そうだ車の中だ。大急ぎで飛行機をキャンセルし、私は外へ走り出た。たまたま停まっていた、駐車場の送迎バスに事情を話して連れていってもらい、座席の端に落ちている携帯を見つけた。
そんなわけで、興奮したせいか、または一本乗り遅れたせいで、ギリギリとなった乗り継ぎ便の心配をしたせいか、飛行機では一睡もできなかった。そして着いた札幌では、千歳(ちとせ)空港の広さにありったけの悪口をうめきながら走った。飛行機の会社が違うと、翼の形をした、広い広い空港の右端から左端まで走らされるのだ。日ごろ、朝のジョギングをしていて良かった。今となればそう思うのだが、楽しみだった千歳空港での昼食も結局ラーメンではなく、サンドイッチとなったが、こんどは乗り継ぎ便を心配することはない。やっと飛行機の中眠れることに安堵した。
轟音を上げて、女満別(めまんべつ)空港行きの飛行機は飛び立った。まさかプロペラ機とは思わなかった。しかも座席は翼の隣である。プロペラがよく見える。眠るどころではない。人生いろいろと前の総理大臣は言ったが、まったくその通りだ。そう思いながら結局轟音と揺れに一睡もできず一時間後、女満別空港に降り立った。
迎えに来た義父の速射砲のような会話に呆然と付き合いながら実家に着き、そのまま、速射砲のように話す妻を連れて病院へと向かった。
陣痛室では、ピ、ピ…眠気を誘う心拍音とオルゴールの曲が鳴っていた。「痛たた…」と言っている妻に話しかける。しかしどうしても欠伸(あくび)が出る。40時間寝ていないのだ。別に不真面目なわけではない。
ドサ、と音がして息子が産まれたのは、それから4時間後だった。彼はビックリした顔で辺りを見回した。なぜ赤ちゃんは産まれたら泣くのかと思ったら、なんだ、「ここはどこだ?」とびっくりして泣くのか。そう思った。ようこそ我が家へ。すまん。欠伸が出るのは気にしないでくれ。大欠伸を繰り返しながら、私は彼を抱き上げた。
44時間以上眠らず、しかも途中で全力で走った。そんな経験は他にない。妻の方が大変だという思いがあったから、できたことだと思う。
今は息子をお風呂に入れ、湯上りにミルクをあげるのが私の仕事だ。毎日髪まで濡れた息子を見るたびに、彼がずぶ濡れで、びっくりした顔で妻のお腹から出てきたときのこと、そして、ただひたすら眠かったあの時を鮮明に思い出すことができる。