【第7回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
ぱいぱい
京都府 主婦 35歳
一歳三ヶ月になった娘が、早朝寝ぼけ眼で私のパジャマをまくりあげながらこういいます、「ぱいぱい」 。ごくごくとおいしそうにおっぱいを飲み、また幸せそうに眠る娘の姿を見て、私は幸せな朝を迎えます。
不妊治療を始めて1年、授かった命。治療の精神的な辛さから、妊娠することが目的になってしまっていた私は、そこから自分の体の変化に戸惑うばかりでした。仕事も忙しく、最終的には切迫早産と診断され、出産前は自宅で安静にしなければならなくなりました。出産についての勉強がおろそかだった私は本を読み漁りインターネットで調べあげました。このときには出産がゴールでした。
出産は比較的安産でした。娘を抱き、初乳をあげる…私のおっぱいを探し一生懸命吸う娘をみて、この子がおなかに入っていたのか、と愛おしく思いました。
そんな余裕があったのは当日だけ。翌日からまさに血のにじむような授乳の練習でした。
ゴールを迎えてしまっていた私にとって、育児も授乳もまさに未知の世界。助産師さんや看護師さんの指導の下、娘は首と頭をがしっと押さえられながら、まだおっぱいの出の悪い私の飲みにくい乳首をくわえさせられます。こんな抱き方、あんな抱き方と試します。そばで見ていた夫は授乳がこんなに厳しくつらいものかと驚いたそうです。私は必死ですし、娘は泣いているのですから。おっぱいをあげることがこんなに大変だなんて知らなかった!
しかし、退院後もおっぱいの出はよくならず、ミルクと混合で3ヶ月までをすごしました。乳首の皮はめくれ、出血することも多々あり、1時間おきの授乳と授乳後も泣いている娘を見て、のみ足りないのだ、ミルクのみにしたほうがいいのではないか、いろんな制限を守らないといけないおっぱいなんてなんにもいいことがないと何度も泣きました。授乳以外に育児にはもたくさんしなければならないことがあります。周囲からどう思われているのかも気になり、私の自己満足なのではないかと娘に申し訳なく、育児もつらいばかりでした。動物の授乳シーンを見てもうらやましく、ましてやほかのお母さん方の授乳は食い入るように見てしまうほどでした。
3ヶ月たち、ある助産師さんから言われた一言で前が明るくなりました。「おっぱいでてるんやし、思い切ってミルクやめてみ」この日でミルクをやめました。
今まで時間がきめられていておっぱいから離されるたびに泣いていた娘はすきなだけおっぱいを飲み、私はミルクを作ることや消毒から解放されました。授乳のたびに私のなかにあった緊張感がなくなり、娘ののどがごくごくと動き、明らかにおっぱいの量が増えてきたことがわかりました。
授乳が楽しくなったこのとき、私は初めて母としての自信をもちました。私の不安は母乳に影響し、娘にもそれが伝わっていたのでしょう。
いつでもどこでも授乳が出来る喜びは何事にも替えることが出来ません。出生時の3倍の体重になった娘は今日も「ぱいぱい」とおっぱいを飲みにきてくれます。至福のときです。乳離れなんてまだまだいいのです。私が乳離れできないから娘が先に離れていくかもしれません。その日までずっと飲み続けて欲しいのです。私のおっぱいは、私の体であって私の体でない、あなただけのおっぱい。
おっぱいをがんばって飲み続けてくれて本当にありがとう。
これからもいろなことがあるけれど、きっと一緒にがんばれるよね?