持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第7回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~

特別賞

新しい命と出会う瞬間

倉本 里美 岩手県  幼稚園教諭  25歳

15年前のある日の夜、母が「見せたい物があるから、早く歯を磨いておいで」と言った。何が何だか分からずも、急いで歯を磨き、パジャマに着替え、母の待つ寝室に向かった。わたしが11歳の時だった。言われるままに10秒数え、目を開けるとそこには「母子健康手帳」があった。一瞬、時間が止まったが、体育の授業で習ったばかりということも手伝って、すぐに「お姉ちゃんになるんだ」と理解したのである。私の口が軽い事を重々知っている母に「良いというまで誰にも教えちゃダメ」と約束させられたものの、言いたくて言いたくて仕方がなかった。待ちに待った『赤ちゃん』がやって来たことで毎日がルンルンだったのである。安定期に入った頃やっと許可が下りて、私は友達や担任の先生達に姉になることを話した。小学5年生という微妙な年頃で男子にからかわれることもあったが、平気だった。それよりも自分に妹か弟が出来る事の方が衝撃的だったのである。しかし、そんな有頂天な私をよそに、母と赤ちゃんは大きな壁にぶつかっていた。
その年、母は41歳。立派な高齢出産だった。妊娠8ヶ月頃だっただろうか。母は妊娠中毒症の為、入院することになった。入院中は毎日病院に通った。片道バスで15分。小児料金で100円だった。当時のお小遣いはあっという間に消えてしまったが全く惜しいとは思わなかった。母とおしゃべりしながら食べる売店のアイスは格別だった。
11月19日、その日もいつものように母のベッドの隣でチョコミントのアイスを頬張っていると、母の主治医が突然来て「明日、やりましょう」と言った。母はただ頷いた。そのやりとりを見た瞬間、ついに「姉になる日」が来ることを察知したのである。アイスを殆ど残し、すぐに家に帰り、祖父母に伝えドキドキの眠れぬ夜を過ごした。
11月20日午後2時に帝王切開の手術が行われた。実は、本当の出産予定日は12月20日だったが、母体の中毒症がひどかった為に一ヶ月早く出産することになったのだった。浮かれている私以外の家族、親戚は深刻な事態にハラハラドキドキの数時間を過ごしたことを数年前に聞き、驚いたのである。
その日、私は念願の「お姉ちゃん」になった。初めて会った妹は、新生児室の窓越しからで、更に沢山の管が繋がって保育器の中にいた。ガラス越しに見えた足はわたしの親指くらいの大きさで「赤ちゃんってこんなに小さいんだ」と実感した瞬間だった。たった3分程の時間だったがなぜか涙が溢れ、周りの人達に気付かれないように必死だった。あの時の気持ちは本当に不思議だった。でも、全身がとても温かい気持ちだった。
その後暫くは保育器で過ごした妹だったが、順調に成長し母と同室になった。初めて抱っこし、ミルクをあげた日。ヒヤヒヤと見つめる母の姿が印象的だった。私の腕の中にスッポリ入り、コクンコクンとミルクを飲む妹をいくら見ていても飽きることは無かった。
今年、妹は15歳になる。あんなに小さかった赤ちゃんは、今では母と私の身長を追い越した。小学5年だった私も26歳になる。妹が生まれたことが大きなきっかけとなり保育者への道を選び、幼稚園教諭となった。そして、ついに愛する人と家庭を持つ事となった。「母になる」事に、一歩近づいたのである。思春期は、喧嘩ばかりだった母とも落ち着いて色々な事を話す機会も増えた。母が不妊に何年も悩んだ事や管だらけの娘を見た時の事も聞いた。出産が大変な事を知らされたが、母親になる素晴らしさも同時に教えられたのである。
今の私には近い将来の夢がある。一つは愛する人との赤ちゃんをこの腕で抱きたいという事。そしてもう一つは新しい命の誕生を妹に見せてあげたいという事である。私が妹から教えられた事を今度は私が伝えられたら幸せだと思っている。

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