【第6回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
入選
3つのサプライズ提案
【一般部門】 石川県 専門職 31歳
「ここで産もっか。」と助産師さん。
そんな軽い感じの問いにもちろん私は耳を疑った。私が横たわっていたのは待機室。柵もリクライニングもないような至ってシンプルなパイプベッドの上。
「えーっ!?こんなベッド、どこにでもありそうなんですけど・・・。」と私は苦笑した。
その日は朝から出産ラッシュだったそうで、正午に入院した私は
「今日ちょっと混んでいて、個室が空いてないの。空くまでここにいてくれる?」と大部屋に通された。
15時には陣痛の間隔もかなり短くなり、かけつけた母と夫の助けを借りて凌いでいた。よほど忙しいのか助産師さんはなかなか様子を見に来てくれず、やっと来てくれたと思ったら
「あら、もう8cmまで開いている。思った以上に早いわ、待機室に移動しましょう。」
と急展開。更に待機室に移動するとき、スタッフのひそひそ話をしっかり聞いてしまった。
「どうします?かなり進んでいるんですけれど、分娩台あかないですよね。」
そう、私が待機室に入った時点で既に帝王切開の方が手術台に、そして昨晩から十数時間も苦しんでいる方が分娩台にいたのだ。そこへ、急にお産が進んだ私が来たものだから、助産師さんたちも慌しく立ち回っていた。
それで、ここで産もっか、と提案されたのだ。
分娩台にあがれずじまいで何だか損をした気もしたが、先客がいるんじゃ仕方がない。昨晩から苦しんでいる方をさしおいて、お先に~!とばかりに分娩台にあがることなんてできるわけがない。しかも陣痛の痛みのせいか、何だかやたらとハイな気分だった。普通はこんな展開にパニックに陥ったり、不安になったりするのかもしれないが、私はこの想定外の状況がやけに楽しくなってきた。
「ここで産むんだって、すごくない?えへへ。」
痛みに耐えながらも枕元に立ち会っている夫と一緒に笑った。
陣痛の波が来るたびに、呼吸を荒げ、身をよじり、汗ばみ、爪が食い込まんばかりに夫の手を握った。でもこれまでに経験したことのない身体の変化に対し、私の五感はいつも以上に鋭かった。人の話もよく聞こえたし、冷静に周りが見えていた。
しばらくして
「赤ちゃんの頭見えてきたよ!」と一声。いよいよ大詰めだ、と少し気持ちが高ぶったとき、またもや助産師さんから耳を疑う提案がなされた。
「触ってみる?赤ちゃんの頭。」
「えっ、いいんですか?」
あまりにもラフな提案に驚いたが、先の提案とは違って、これにはすぐに乗った。こんなことは今しかできない!すぐさま、そーっと手を伸ばし、湿った髪の毛に触れた。
産まれたのはそのすぐ後だった。肩が抜けて、体全体が滑り抜け出る瞬間も全て落ち着いて実感できた。
ふぅとひと息ついた私に助産師さんは
「初めてなのに冷静で上手だったね、いいお産だったよ。」と声をかけてくれた。思いがけず褒められ、照れくさかった私は、すかさず夫に
「本当に初めてだからね。」とうろたえて弁解するふりをし、待機室は笑いに包まれた。そんな中、産まれたての小さな命が一人だけ顔を真っ赤にして泣いていた。それがまた愛しく、やっぱり笑わずにはいられなかった。愛しい産声に夫のやわらかい笑顔。
全てが優しい光景だった。
出産に分娩台はいらなかった。あったのはシンプルなベッドと、2つのサプライズ提案、ちょっとのユーモア。そして優しい微笑み。側には夫と助産師さん。それだけだった。
きっと幸せな瞬間は、条件さえ揃っていれば、場所を選ばずどこにでも訪れるのだろう。
もし本当にそうなら、第二子は日常の一コマのように、自宅で迎えたい。誕生日に食卓でバースデイケーキを囲むように、入園式に玄関で写真を撮るように、自宅の一室で産声を聞きたい。
「おかあさん、がんばって!」「おぎゃー!おぎゃー!」「お父さん、お湯!」私にはもう既にこんな幸せな声が飛びかう優しい光景が見えている。
でも問題は・・・夫だ。どうやら次は私がサプライズ提案をする番のようだ。