【第6回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
入選
赤ちゃんが教えてくれた喜び
【看護師助産師部門】 高知県 看護学生 22歳
200x年x月x日9時20分。新しい生命が誕生した。私はこの感動の場面に一緒に立ち会えたことを、心の底から感謝している。
このエッセイは、私が看護学生の頃体験した「赤ちゃんの誕生」についてである。この時の喜びは、看護師を続けていく私にとっていつも心の支えとなる体験である。
看護学生であった私は、病院に来て分娩が始まっていることを伝えられた。私は興奮と緊張、不安と期待を胸に抱え分娩室に向かった。既に子宮口は全開大しており、母親は陣痛の周期に合わせていきんでいる。私は一生懸命闘っている母親の力になりたいと思い、呼吸に合わせて腕をさすった。母親の腕からは、いきむごとに体のすみずみの筋肉が強い緊張を走らせているようだった。そしてその力は、温かく、やさしく、児も一生懸命に闘っていることが伝わってきた。
陣痛はいやおうなく母親に児の娩出を促す。母親の表情は益々険しく赤みを帯び、頸動脈が浮き彫りになっても必死にいきんでいる。私も腕をさする手に力が入り、一緒に歯を食いしばっていきんでいる。陣痛から約5時間後、徐々に児の頭が顔を出し始める。スタッフからは「赤ちゃんの髪の毛見えてきたよ。ふさふさやで。」と児の様子が伝えられると、母親は益々いきみに力が入る。しかし、なかなか児は出てこない。母親の額からは汗が噴出す。
母親の子宮口が児の頭に対して小さかったので、会陰切開を行うことになった。母親は陣痛の痛みに加え局所麻酔、切開の痛みに耐えなければならない。しかし母親は強かった。医師の「少し痛みますよ。」という言葉に「はい。お願いします。」としっかり応えた。私はその強い精神に母親の偉大さを感じた。
切開後、児の頭はもうそこまで出てきていた。しかし、今まで歯を食いしばり闘ってきた母親がこの時初めて「痛い!」と声を漏らした。その痛みは、きっと私の想像をはるかに超えている。けれどすぐに母親は体勢を持ち直し再び分娩に挑む。スタッフの「いま。いま頑張ろう。」「お母さん、もう少し。」その言葉に励まされ母親は最後の一踏んばりをした。
「んぎゃ~んぎゃ~」
「お母さん、元気な女の子です。」
新生児はすぐさま母親の胸元にうずくまった。その瞬間、母親の喜びに満ちた表情がみえた。5時間22分に及ぶ分娩を終え、疲労でいっぱいのはずの母親の身体。しかし母親の眼は輝き、ずっと児をおっている。児は母親の胸元にくっつき泣きやんだ。さっきまですさまじい勢いで泣いていたことを忘れたかのように、安心しきった表情である。こんなに小さいのに、もう守ってくれる存在をちゃんと分かっているようであった。
しばらくして、夫が遠方より妻のもとに駆けつけた。父親は、母親の側に寄り添って「ごくろうさん。」一番初めにそう言った。大きな役割をおえた妻に対する感謝の気持ちが込められているようだった。朝7時に連絡を受けた夫は、新幹線に乗り手に汗を握り駆けつけたことだろう。どうか母子共に元気でいて欲しい。そう願ってやまなかったのではないかと思う。
私は出産の感動を母親にメールした。すると母親からは「こんなに大変な思いをして生んだんやから、子供って大切なんやで。」と返信がきた。私が成長してきた過程には様々なことがあった。その1つ1つに母親の存在や支えがあったことに改めて気付くことが出来た。きっと子供はいくつになっても子供なのだろう。そして母親はずっと母親なのだと思う。子供を見守り支えていく母親の愛情は深く、力に変えていくことが出来る。
現代の家族状況は、少子化や児童虐待など様々な問題がある。私はもっと命の大切さをかみしめてほしいと願う。自分が産まれてきた時の喜び感動を感じられるといいなと思う。私は人々の心や身体の健康を支えていく職業者として、多くの人々に喜びを感じて頂けるようなケアを行っていきたいと思う。