【第6回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
入選
ちいさな親善大使
【一般部門】 東京都 専門職 39歳
じーっと見つめたまま、ピクリともしない。こぶしを軽く握っているのは、少し緊張している証拠。「見てるよ!見てるよ!」 連れの女の子に言われ、少し困った顔をしている大学生くらいのお兄さん。もう一度向き直り、ハンちゃんとにらめっこ。少しして、ハンちゃんがニコッと笑う。お兄さんもホッとして、ニコッとする。ハンちゃんの人物チェックが終わった。頭をフル回転させて「この人、誰だろう? どんな人かな?」と判断するみたい。
私は、ハンちゃんに反応してくれた彼らと目を合わせながら、口元をゆるませる。「(Tシャツの)この柄が気になるのかなぁ」。お兄さんは照れている。ハンちゃんは早くもお兄さんのピカピカ光る銀色の時計に目をつけているようで、身を乗り出した。
東京・山手線での一コマ。ハンちゃんと出かけると、いつも、誰かと笑みを交わすことができる。車があれば便利だと思うけれど、持たないことに決めている。都会で車は必須ではないし、子どもを通して社会と積極的に繋がっていたい。忙しい人たちも、電車の中では一息ついて、ハンちゃんに興味を持ったりかわいがってくれたりする。それ以上に興味があふれているのは、ハンちゃん自身なのだけれど。
何度か訪ねたアメリカでは、会釈し合ったり初対面で会話をしたりするのはよくあることだった。2年間だけ住んだ関西では、見ず知らずのおばちゃんが誰かに話しかける光景が見られ、気さくな町だと思った。でも東京では、みんなが沈黙。特に用がなければ「すみません」「あ、どうも」‥‥せいぜい、このくらい。たまに「暑いわねぇ」とでも声をかけられたら、まず焦るかもしれない。「私に言ってる?」と周りを確認し「あっ。そうですね」となる。見知らぬ人と目が合いそうになると、サッとそらしたりして‥‥。この町には、引っ越して来て3年あまり。無機質なスーパーやコンビニで買い物を済ませ、町内会はマンション経由、地元の人とほとんど交流のないまま暮らしてきた。
ハンちゃんの誕生で、そんな生活が一変する。生後1か月を過ぎてから、努めて外に出た。抱っこしつつ動かないとぐずる時期には、あてもなくベビーカーを押して近所をさまよった。お出かけではご機嫌!のハンちゃんだったから、バリアフリーの隣の駅まで歩き、電車に乗って出かけもした。知らなかった路地を覚え、季節の花に足を止めた。段差や歩道をふさぐ路上駐車が、タバコの煙が、身をもってバリアに感じられた。環境のこと、保健医療福祉のこと、子育てやジェンダーのこと、平和の大切さ‥‥。社会の様々なことに、思いを巡らせた。
そうした中で、沢山の人たちと出会った。きゃあきゃあ言っている女子中学生たちや金髪に鼻ピアスのお兄さん、寡黙にみえるサラリーマン、子ども連れ、ホームレスのおじさん‥‥。遠くにいるひ孫のことを話す方がいる一方で「うちには孫がいないので」と嬉しそうに祖父母の疑似体験をする年配の方、「うちの子もこんな頃があったのよね」と過去をふり返る方もいる。知的障がい者たちが作る、おいしいパンの店も知った。
ハンちゃんなしでは出会えなかった沢山の人たちと、心を通わせ、暖かい気持ちをもらった。こちらが礼を言いたいのに「ありがとう」「元気が出たわ」と言ってくれた沢山の人たち。ハンちゃんに「嬉しいね」と声をかけながら、「ハンちゃん、スゴイね。君は親善大使だね」と褒め讃えている。
東京は、関わり合わない町ではなかった。殻を作っていたのは、私自身かもしれない。ハンちゃん、あなたには、私たちを変える力がある。ふれあう人を笑顔で暖かい気持ちにする力がある。一緒に成長しようね。あなたの存在だけで十分に幸せ。でもそれだけでなく、私たちを生まれ変わらせてくれる、小さな天からの使い。生まれて来てくれて、ありがとう。