【第6回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
入選
父親の育児業
【一般部門】 奈良県 会社員 30歳
誰が決めたか、いつの時代からか、父親は子供の風呂入れをするというのが当然になっている。男の子にしろ、女の子にしろ、どうせある年頃になれば、父親と一緒の風呂なんて嫌だと言い出すに決まっている。だが、妻や世間は、子供の風呂入れを父親にさせたがる。
では、どうして風呂入れなのか。
帰宅後の時間帯が風呂入れのタイミングとちょうど良いからか。
風呂ぐらい誰でも入れられるだろうと思われているからか。
まあ、理由は何にしろ、私は、子供が生まれた時から1日欠かさず風呂入れ担当である。別に風呂入れが嫌いというわけではない。むしろ、好きな方だ。だが、風呂入れくらいと思われるのは快くない。なぜなら、風呂入れは、非常に学ぶことが多いのである。
首も据わらぬ頃は、身体がお湯に触れるととても気持ちよさそうで、ぽかーんとしていた。しかし、いつの間にか、周りを気にし始め、玩具で遊ぶことを覚えていく。特に、派手な色の玩具が気に入るようになる。だが、すぐに、色や形だけでは飽き足らず、素材感があり、音が出たり動く細工があるものを好むようになる。そして、ただの風呂の玩具から、浮力などという難しいことまで学ぶようになる。「ボールはずっと浮いているのに、どうして水を吸った玩具は沈むのだろうか?」と、まだ1歳の子供でも、2つを見比べ、首をかしげている。たいしたものである。ボールも沈まないかと必死に水に沈めてみるが、どうしても浮き上がってくる様子も納得いかないようで、繰り返しやってみる。また、ボールが水面を出る時に、ポーンと空高く舞い上がる様子も面白いのだろう。子供は、私が想像もつかない遊び方で、次々と遊びを生み出し、あっという間に、大人を自分の世界へ誘い込んでいく力がある。我が子ながら、見事な能力である。
さらに、お湯に対する興味にも変化が見られる。最初は、なんだか柔らかい所に入っているな、くらいだが、気がつくと、この水という流動物がとても面白くなる。表面を叩くと、ばしゃっばしゃっと音が出るし、顔に水しぶきが怖いくらい飛んでくる。このあまりに早い流動物の動きが殊の外興味ある様子で、繰り返し表面を叩いてみる。私の顔にもしぶきがかかるので、嫌がって「ぎゃっ」と言うとそれもまた面白いようで、飽きずにやってみせている。シャワーや蛇口からの水の出る様子も面白いようである。手を必死にかざしてみるが、どうしても水の流れが途切れず、とても不思議そうにしている。どうしてこれは握れないのだろう、とでも言いたげである。こうして、子供は知らず知らずの間に、固体と流動体との違いを学び、各々の扱いを学んでいくのであろう。
加えて、一緒にお風呂に入るだけでも子供の身体の成長を見てとることができ、あせもや虫刺されの痕をみるだけでも、その日の腕白な昼間の様子が窺い知る事が出来る。
しかし、ただ子供の成長や発達を感じとれるだけではない。子供と風呂に入ると、私自身も一日の仕事の疲れを忘れるほど、大変心穏やかなひとときを過ごすことができる。仕事で嫌なことや辛いことは当然あるが、それも、子供と風呂に入ると、全てを忘れることができるのである。どんなエステやリラックス法よりも、自分の安らぎにとってこれほど有益なものはない。つまり、これほど短時間で、沢山の事を感じ心安らぐ育児は、他にはないのである。
だから、私は、出来るだけ長い間、父親にしかできない風呂入れを頑張りたいと思う。後に「そういえば、父さんに小さいとき風呂に入れてもらったような気がするな」という記憶が、かすかにでも残ってくれればそれで十分満足である。どうせ時がくれば、父親なんてといわれる時がやってくる。その日まで、この世に生まれてきてくれた大切な我が子と楽しいときを共有することに精一杯励んでいきたい。それが、今自分ができる最高の育児であると信じている。