持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第6回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~

佳作

もうサイコウ!

【一般部門】73票 伊積 利恵 和歌山県  主婦  32歳

最近、長男坊は、こう言って母を喜ばせてくれる。
「おかあちゃんのごはん、おいしー!」
「おかあちゃん大きなったら、ごはん屋さんになったらええのに」
「絶対なってな? ごはん屋さん」
あはは。
嬉しいなあ。
そんなん言ってもらえたら、作り甲斐あるよ。
お兄ちゃんが「おいしー!」と言えば、
間髪を容れず、舌足らずな「おいちー!」が、後に続く。
その声の主は、下の1歳半の長女。
「おいしー」と「おいちー」。
食べている間中、何度もそう言って、にーっと笑顔がこぼれる。
自分たちが、どれほど母を喜ばせているかなんて、ふたりは知らない。
長男坊は、今年5歳になる。
彼が食物アレルギーだと知ったのは、生後5ヶ月の頃。
乳児湿疹がひどく、初めての子育てで、私は随分と悩んだ。
母乳は彼が溺れる程出てくれたので、ミルクは飲ませたことがなかった。
生後3ヶ月で乳歯が生え、カミカミ攻撃が始まる。
乳首がボロボロになる。
搾乳しても、血膿が飛び出す有様。
産院を受診したが、「我慢のみ」と、お薬さえ出してもらえなかった。
泣きながら激痛に耐え、お乳を飲ませる日々。
…でも、もうほんま限界。
とうとうある晩、ミルクを足した。分量、100ml。
今晩だけでも…、そう思った。
彼は、初めてのミルクをおいしそうに、ごくごくと飲んだ。
ああ、お腹すいてたんやね。ごめんね。
満腹、満足そうに眠りに落ちていく彼の顔をしばらく眺めていた。
と、見る見るうちに、彼の全身が真っ赤になった。
すごく痒がりだした。
「あかん! お父さーん、ミルクアレルギーや!」
時刻は、21時をまわった頃。
手当たり次第、病院に電話を掛けまくる。
何件目かの病院で、ようやく「来てください」と言ってもらえた。
彼は泣きもせず、じっと私に抱かれたまま。
その晩は、お薬を頂いて無事に帰宅することができた。
翌日の検査で、幾つかアレルギーが判明。
大まかに、たまご、牛乳、粉ミルクがだめだと言われる。
母親の私も、母乳のために除去食を指示された。
それから1ヶ月もすると、これまで深い悩みの種だった彼の湿疹が、嘘のように消えた。
まるで、ゆでたまごのようなつるっつるの顔。赤ちゃんの肌!
ずっと使っていた軟膏が、要らなくなった。
「きれいになったなあ」
肌のトラブルもアレルギーが原因だったと分かり、対処しやすくなった。
よし!
おかあちゃん、がんばろ!
アレルギーなんかに負けるもんか!
おいしいごはん(離乳食)、じゃんじゃん作るぞー!
そう心に決めた。
元々、料理は得意ではないが、大好きだった。
使えない食材が意外に多く感じたりもしたけど、
試行錯誤しながら、毎日、毎食、彼においしいごはんを作った。
彼は、それらを本当においしそうに平らげた。
我が家では、食べさせすぎ? が、かなり心配だった。
それくらい本当に、よく食べてくれた。
素材に気を配り、自然の風味を大切にした離乳食。
野菜のスープは、時間さえ掛ければ、それだけですごく贅沢な味になった。
子供のためにとがんばってきたつもりが、
実は大いに自分のためになっていたことも多かったと思う。
生後8ヶ月の頃の彼が、身振り手振りで必死に「おかわり」と催促してくれた時の喜びは、言葉にはできない。
あんまり嬉しくて、涙が出た。
母親の私が食べることが大好きで、子供にもその喜びを教えたいと思ってきた。
食に興味を持ってもらいたかった。好きになってほしかった。
そんな母の思いが届いたのか、どうか…。
子供たちは、「おいしー」と「おいちー」と、笑顔をくれる。
もうサイコウ!
母親ってしあわせもんやなあ、とほんまに思う。
台所でごはんを作っていると、ふたりが私の足元に寄ってくる。
娘はぎこちなく人差し指を1本、私に見せて、
この時ばかりは流暢な日本語で、「もういっかい!」と言う。
さっきもあげたでしょ?
数秒、にらみ合う。
にーっと、娘が笑う。
にーっと、隣でお兄ちゃんも笑う。
ああ、この笑顔たちに、母は勝てそうにない。

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