【第6回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
優秀賞
3番目の天使
【一般部門】86票 マニング理々子 大阪府 主婦 42歳
8年前の冬、我が家に3番目の命が誕生した。
その日からさかのぼること9ヶ月、先の2回の妊娠が発覚した時と何ら変わりなく産婦人科の門をくぐった。
違っていたことと言えば、アメリカ・カリフォルニア州にある開業医であったことと、初期検査の結果「産むかおろすか、決めてください。」と言われたことだった。
「産むかおろすか??」私にこの子を「生かすか殺すか」選べってこと?
冗談じゃあない!
金髪の女医さんから発せられたその愚問に、私は耳を疑った。
「今回はしょう害児が産まれる可能性が、かなりの確率で避けられません。」
血液検査の結果がそう出たために、女医さんは私に「助言」をしたに過ぎなかったのだろう。実際にはその「助言」を下さる前に、それをはっきりさせるために、羊水検査を受ける事を提案され、その結果「クロ」と出たら決断してください、と言う上での発言だった。
その場に居合わせた主人は、お医者様の言うことだからと何の疑問もなくその提案を受け入れ、病院を後にすることとなった。
しかしそれからも、胸騒ぎがおさまらない私は、羊水検査の方法や危険性について躍起になって調べた。
それは長い針をおなかに刺す検査方法で、流産してしまうこともあるという。
ここで前述の「冗談じゃあない!」という気持ちがふつふつと湧き、「しょう害があろうがなかろうが、産むに決まっている!」という思いを確信した。
翌日からは、日本とアメリカ、両方の国で推奨されているしょう害児のための教育機関や学校を探し、しょう害児をお持ちの家族を尋ね、家族全員の体験談を聞くなどできる限りの準備をし、病院も変えた。
またその頃は、主人が韓国に単身赴任することが決まっていたため、私と2人の子ども達の日本への帰国準備と同時進行の作業であった。
それを知った主人の職場の決断は、「健常児が産まれたら、単身赴任を決行」し、
「しょう害児が産まれたら、赴任は免除」というものになった。
それはどちらにころんでも、私達にとって試練となることは確実だった。
そんな、裁きを待つような日々にも似たような毎日を過ごしながらも、常に欠かさなかったこと、おなかへの「声かけ」がある。
「もし今、しょう害があるのなら、自分で治して出てきてね。それから、お父さんがおうちにいる時に、ポンって生まれてきてね。」と。
12月14日、その日がやってきた。
約束通り、お父さんのいる時間に陣痛が始まり、病院へ向かった。
やがてベッドの上で激痛が訪れても、赤ちゃんのほうがよっぽど苦しいのだと思うと、不思議なくらい静かにやり過ごすことができた。
4時間後、安産極まりなく産まれた母子の様子を見て、
「すべての妊婦さんがこうだといいのにね。」と言った、
先生の笑顔がとても温かかった。
結局入院中は、しょう害について何も言われず、帰宅をした後もいつ病院から呼び出しがあるものかと、気が気でない毎日で30日が過ぎた。
しびれを切らした私達は、思い切って先生にしょう害の有無を尋ねた。
その結果は「健康なお子さんですよ。」とのこと!
喜んだのもつかの間、これで主人の韓国行きが決定したことがすぐに思い知らされた。
翌日その手続きのために職場へ赴くと、なんと「ここ数日の間に韓国の人員が満員になり、あなたはアメリカに残ることになりました。ただし、ハワイに転勤していただきます。」との辞令を受け、家族が嬉々としたのは言うまでもない。
思えば、初診から出産までの9ヶ月間は色々な意味で試された日々であった。
今現在8歳になり、私の傍らで寝息を立てているその子は、皆が離れ離れになることを阻止したばかりではなく、楽園での生活を体験させてくれた。
「光織 ~みおり~」それがあなたの名前です。「光で織った衣を着ている子供」イコール「天使」、あなたの存在そのものがあなたの名前の由来です。
ありがとう。そして、We Love You!