【第5回】
~ 赤ちゃんと笑顔 ~
入選
初宮参りで。
【一般部門】 福島県 自営 35歳
娘が生まれて2ヶ月経った、月遅れの初宮参りの日。受付を済ませ、妻と一緒に神社に入ると、そこには、先客の数組の家族が既にいて、それぞれの赤ちゃんを抱いたり、おめかしさせたりしていた。新米のパパさんやママさんも、それからおじいちゃんやおばあちゃんも、みんな赤ちゃんの顔を愛しそうに覗き込んで話しかけている。そのままあと十分もしたら赤ちゃんはとろとろに溶けちゃうんじゃないか、と思えるくらいの、ハチミツみたいにとっぷりした愛情のまなざし。
「赤ちゃんがいつも甘い匂いを発しているわけよね。」妻が小声で笑い、僕も思わず、腕の中で眠っている娘の顔に鼻を近づけた。いや、とろけさせているのは実は赤ちゃんの方。ひんやりとした神社の空気の中、みんな赤ちゃんの笑顔にどうしようもなく優しくあたたかくなっている。
そこへ、厳そかで重々しい表情で神主さんがしずしずと歩いて来て空気がきゅっと引き締まり、みんなちょっと緊張して居住まいを正したところでご祈祷が始まった。この子の未来が幸せに溢れていますように。元気で、強くありますように。
強くあること。
3年前、結婚した時に「妻」という、いざという時に身を挺してでも守るべきもの、つまり自分よりも大切なものができたのが嬉しくもあり、また少し怖くもあった。それはとりもなおさず自分の存在価値が比較の上で一段階下がったことを意味するような気がしたから。出産に立ち会って、生まれ出てきた我が子を見たときも、至福の悦びとともにやはり自分よりも間違いなく大切なものがまた増えることに、自分の存在が再び希薄になってゆくようなバカらしい恐れの風が心に一陣、吹き通っていったのも事実だ。でも、こうして2ヶ月、毎日毎日見てきた赤ちゃんの笑顔は「自分よりも」等という陳腐で薄っぺらい比較など恥ずかしくなるくらいに天上に近いものだった。確実に僕はその笑顔のために強くなれる。その思いを日々確認し続けた2ヶ月だった。
「この子の笑顔と僕ら親と、どちらがどちらを成長させてるんだか、わかりやしないな。」
昨日、そんな話をしたら、夜中の3時間ごとの授乳に寝不足を続ける妻が言った。
「不思議な事に、赤ちゃんって朝方、一番こっちがつらい時間帯にこの世のものとは思えないようなかわいい笑顔を見せるの。まるで、頑張ってママ!って応援してくれるみたいに。あの笑顔が見られるんだ、と思うと辛くても起きてしまうんだなあ。」
ここにも、確実に強くなった人間が一人。
無事ご祈祷が終わって、誰からともなく「ああ、緊張しましたねえ」という声があがり、それに呼応するように「ふう。」「いい子でお祈り受けてたねえ」と空気が一気に和んでくる。すると、それまでずっと厳めしい顔をしていた神主さんがふっと緩んだ面持ちになり、「いやあ、私も実は今日は緊張しましたよ。」一瞬おいて、照れたようないたずらっぽい眼で、
「実はあれ、ウチの孫でして。」
一番後ろの若いご夫婦が赤ちゃんを抱いて立ち上がり、みんなに微笑みながら会釈して、神社の中にどっと笑い声が沸いた。「神主さんも、ただの孫かわいがりのおじいちゃんだな。」とからかう声に「いやいや、本当に、一番神様に近いのは皆さんの赤ちゃんたちですよ。私も孫の笑顔を見ちゃうとまだまだ長生きするぞって気持ちになるんですわ。私達にそんな前向きな力を与えるなんて、それは神様の技ですよ。」
みんなが大きく頷いてもう一度大きく自分たちの宝物にハチミツを注ぎこむ。「そういえば、赤ちゃんもカミサマもサンドウの先にしずまってたんだからねえ」などと言う人がいて、また神社は大きな笑い声に包まれた。なんだか無性に娘の笑顔を見たくなる。よし、今夜は妻の朝方の授乳につきあってみよう、と思った。