持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第5回】
~ 赤ちゃんと笑顔 ~

入選

子だくさんバンザイ!

【一般部門】 北海道  主婦  37歳

私のおなかには、立派な傷がある。決しておなかの肉づきが良くて、傷がのびているのではない。傷自体が大きいのだ。それにしてもなかなかの存在感である。
傷は、3度目の出産で帝王切開した時のものだ。3度の出産で男の子3人、女の子1人、計4人の子ども。そう。3度目の妊娠は双子だった。しかも、2900gと2700gの普通サイズの双子。大きく切らないと出てこなかった。
臨月の時、おなかのふくらみは、背中の方まで達した。常に“食べ過ぎ”の状態だった。2人が同時に動こうものなら、痛くて、
「順番に!」と、おなかに向かって怒ったりもした。
でもそんな2人が、元気に力強く生まれてきてくれたときには、信心深くないこの私が、神様に感謝した。
双子の妊娠が分かった時、正直とまどった。家を新築するための設計図ができあがった頃だった。病院でおなかの2人を初めて確認した時の事は、あまり記憶にない。ただ私がとても戸惑っていたのだろう。先生が、
「2人うち、1人が消えることもあるから。」と言ったことだけは覚えている。
でもすぐに、思いは逆転した。不安よりもまた赤ちゃんを抱ける喜びの方が大きかった。(2人も大変)より、(お兄ちゃん達が、赤ちゃんの奪い合いをしなくてちょうどいい)とさえ思った。
それから、女の子が生まれてもいいように子ども部屋の設計図を変更し、ベビーシートを2つつけられるように、8人乗りの車に換えた。それと並行して、引っ越しの準備もした。新しい生活に向けて毎日が忙しく、そしてワクワクしていた。
引っ越しして、長男の転校を見届けた翌日、私は入院した。その日からトイレ以外は歩くことを制限され、安静にするよう指示された。引っ越ししてきたなんて、とても言えなかった。一年生の長男と年長さんの二男は、私と離れている間、一度も泣かなかったと言う。ただお母さんのにおいがするからと、私の枕とタオルケットだけは洗うのを拒み、抱いて寝ていたと後から聞いた。兄たちも精一杯がんばっていた。
一ヶ月の入院を経て、みんなの元に双子は生まれてきた。麻酔が切れて傷の痛みに顔を歪めている私の元に、看護婦さんが双子の写真を届けてくれた。偶然なのだろう、三男は“アッカンベー”をしていた。初対面にしてはなかなかいい度胸だ。そして主人が見せてくれたビデオ。2人とも普通サイズなのに、念のため保育器に入ったため、体がはみだしそうに保育器の中はパンパンだった。思わず傷が裂ける程吹き出してしまった。今思うと、傷が大きいのはそのせいだったのだろうか。
あれから3年経って、双子も兄たちも個性たっぷりに大きくなった。スイカの食べ方にしても4人4様。昆虫みたいに皮ギリギリまで食べる長男。とにかくたくさん食べようとする二男。兄たちのようにスプーンを使わないで食べると言い張る三男。真ん中のおいしい部分しか食べない長女。みんなそれぞれ。同じ子はいない。だから面白い。子どもが2人の時は、気付かなかった。4人もいたから、かえって1人1人が見えてきた。
夏休み、主人と子ども達はおじいちゃんの家にお泊まりに行った。用事があって行けない私は、3年ぶりの独身。見逃した映画も見たいし、マニキュアも塗りたい、ゆっくり雑誌も見たい。でも結局、1時間お店の中をグルグル回って買ったのは、4冊のアルバム。邪魔する子ども達がいない間に、写真の整理をしよう!3年間の成長した様子を、1人1人のアルバムにまとめよう。そして帰ってきたら、1人1人ギューっとして言おう。
「おかえり!また大きくなったんじゃない?!」

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