持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第5回】
~ 赤ちゃんと笑顔 ~

準優秀賞

笑顔がクスリ

【一般部門】104票 櫻井 恵 北海道  主婦  33歳

『正直、本当は駄目かと思った』そう言って旦那は笑った。
息子は生後一ヶ月。本当に元気になったものだ。私は笑顔で答えた。
結婚後3年経っても子供が出来なかった私は、最初は近所の病院に1年、そして不妊専門の病院に通院していた。旦那と子授けスポット巡りをしたり、神仏にお参りしたり。空を見上げて『優しく(?)楽しいお母さんが待ってるよー。早くお腹の中に降りておいでー』と毎日笑いまくっていた。そして産まれて初めての陽性反応があった♪
その後朝食毎に吐く毎日が続いたが、つわりすらも嬉しい体験で『おー、念願のつわりだよ』と吐きながらも、いつも笑顔の私だった。お腹の赤ちゃんに『病院の歴史に残る位のスピードお産でね♪』と毎日語りかけもした。
そして7ヶ月目に突然の出血。切迫早産の為緊急入院。
お腹の張りも感じず、特に痛みとかも無いため、絶対安静状態でも友達と話したりと、のん気な入院生活を送っていた。
そしてまだまだ予定日まで2ヶ月以上もある30週の夜、私のお腹には突然の激痛。
ベッドの上で巨人広島の試合中継をラジオで聞いていた私、試合経過が気になりながらも激痛に耐えられず、便秘かよと思いながらトイレへと向かった。
うーんと踏ん張った。ん? 出ないなー…なんて思っていたら。どばーっと大出血。そして体が勝手にいきみだしたのだ。ヤバいヤバいと思い急いで立ち上がろうとしたが、力が入らずどんどんと子供が下がる気配。脂汗まみれでナースコールを押し、慌てて看護師さんが突入してきた時には、既に卵膜が出ていた。分娩台に寝転がって産科医が来た時には、もう子供の頭も見えていた。トイレから出て1時間余りで後産まで終了。…確かに伝説に残るようなスピード産だよと呆然。
我が息子は鳴き声を上げる事も無く、仮死状態でNICUに連れて行かれた。臍帯からの出血らしく羊水は血まみれ、このまま胎内に居たら死産になっていたかもと言う状態だった。
息子は身の危険を感じて急いで陣痛を起こして出てきたのだろうか。
旦那や両親が病院に飛んで来た。
『子供が緊急出産に仮死状態、娘はどんな焦心状態で、泣き喚いているのか…』と母は思ったらしいが、私は意に反して『産んだ』事に満足してハイテンション、更には『巨人と広島どっち勝った~?』なんて聞いて、脳天気そのものだった。
私が息子を見たのは4時間後。仮死状態から蘇生して、管やらチューブやらに繋がれて保育器の中にいた。
『可愛い!』息子を見た第一印象だ。『管とかに繋がれてるの見て辛くない?』と聞かれたが、この管すらも息子の命を支える大事な物で、愛しい存在だった。
私は不安よりも誕生の喜びの方が強かった。
『子供に黄疸が出て、今日は抱っこも出来ない、一緒に退院出来ない。』なんて泣いてる人もいたが、私は『産まれてここに居る』って事の方が嬉しくて、周りの心配をよそに未熟児の息子の前で笑って過ごしていた。
幸い息子は周りの手助けもあり、すくすくと育っている。
未熟児で産んでしまったとべそべそ泣く人もいるだろうが、私はいつも笑顔で我が子に接したいと思っていたし、実際いつだって笑いまくっていた。
保育器の中の子供に話しかける。触ってあげる。カンゲルーケアで抱っこする。授乳する。そんな動作が嬉しくて自然に笑みがこぼれていた。
それが子供にとっての最高の特効薬であろう。そう信じている。
今は保育器を卒業した息子をそっと抱き上げた。眠りながらも口元がにっと笑った。私も釣られて微笑んだ。

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