【第5回】
~ 赤ちゃんと笑顔 ~
特別賞
宮崎のおじいちゃん
【一般部門】 久保則幸 大阪府 会社員 29歳
初孫が余程嬉しく、可愛いのだろう。私が息子を連れて帰省すると伝えると、親父は早速ビニールプールを買いにいったそうで。まだ一週間はあろうというのに、もう膨らませて待っていると、お袋が電話の向こうで呆れていた。
甚だ気の早い話ではあるが、大阪と宮崎は頻繁に会うには少々離れているようで、生まれたときに一度あっただけの親父としては、待ち遠しくて仕方がないのだろう。
孫の写真を見たい一心でケータイを持った親父は、写真を送れと一日三回電話を鳴らして要請してくる。ケータイのメールで写真を送っていると、そのうち平仮名ばかりの句読点のない返信が来るようになった。還暦を迎えて久しい親父が、ケータイと格闘する様を想像して微笑ましく思いながらも、果たして私にはこれほど煩悩であったろうかと未だ自衛隊員であった頃の親父を思い出したが、厳格という言葉以外は浮かんでこない。「あのオヤジがねぇ」と息子に目をやると、八ヶ月の人生を経たばかりでありながら、父の複雑な心情を理解しているのかニンマリと笑っていた。
着陸に備え、そろそろ人見知りを始めた息子を膝の上にしっかりと抱く。宮崎空港に降り立つと、仕事を休んで迎えに来てくれた親父が到着口の先頭で、孫の顔を認めて大きく帽子を振っていた。
これが取り付けられたのは何日前だろうと考えながら、チャイルドシートに息子を乗せ、一路家へと向かう車の中はけたたましい泣き声に包まれた。見慣れぬ車の中で見慣れぬ家に着いて、見慣れぬ人に抱かれるのは八ヶ月の赤ん坊にはちと荷が重すぎた。私と嫁で、あやし宥めて落ち着かせるも、親父に抱かせようとすると顔が歪む。その日一日そんな感じで、抱けず仕舞いにしょんぼりとした丸い背中に、「すぐに慣れるよ」とかけたその言葉が気休めでなくなるまでには三日かかった。
早々に空気を詰め込まれ、出番を待ち構えていたビニールプールは、しかし実際に使う段になると待ち疲れたのか少しぐんにゃりとしていた。空気を入れなおし、バケツで水を張る親父を横目に息子の服を脱がせ、冷たすぎては良くないと、張られた水に手を入れて思わず首を捻った。それは孫の身体を慮りましたという温度ではなく、孫の身体を慮り過ぎましたという温度。どちらかというとプールより風呂に近かった。これは行水なのだろうか? という疑問が食道あたりまでこみ上げてきて言葉になりかけたものの、些細なことかと思い直して風呂――いや、プールに息子を下ろした。不思議そうな顔でちゃっぷちゃっぷと水面を叩く息子と、それを幸せそうに眺める親父。次第に楽しくなってきたのか激しく水面を叩く息子。笑顔の皺を深める親父。そして一層激しく水面を叩いた息子がふらりと顔から倒れこんだのだから驚いた。顔中水浸しにして泣きじゃくる息子を慌てて抱き起こし、行水はそこで終わることにした。
……のぼせたのかも知れない。
水面を叩いていたのは、もしかしたら遊んでいたのではなく、なにやら重要なことを訴えたかったのだろうか。涼をとろうとしてのぼせてしまうというのも誠に不思議な話ではあるが。
帰る頃には息子も親父になついており、親父が抱いても泣くことなく、顔を近づけても泣くことなく、むしろその顔に手を伸ばしては鼻の穴を広げるのに余念がなかった。されるがままに相好を崩す親父を見て、いい親孝行ができたと、その功労者である息子に感謝の目を投げると、今度は唇を厚くするのにご執心で私の方はチラリとも見やしない。空港で次は正月に帰ってくるよと告げたころ、息子が愚図っていたのはもしかしたら別れを寂しがっていたのかも知れない。
その後、ケータイに届いた親父からのメールは、いつの間に覚えたのやら漢字も句読点もきっちり使いこなしていた。その進歩に驚きながらも、主に孫の事が書かれたメールには、孫のとびきりの笑顔を返信しておいた。