持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第4回】
~ はじめての沐浴 ~

入選

ゆでたこ

【一般部門】 大阪府  会社員  35歳

ベビーバスに湯を張り、ラッコの形をした水温計が39度を指すまで水でうめる。湯をくるくるとかきまわしながら、キャップに入れた沐浴剤を高い位置からトロリと落とす。中華スープの仕上げにごま油をたらすような按配である。手の中にある息子はまだ眠っているが、お風呂の時間は来てしまった。習慣というものを身に付けてもらうためこの時間はできるだけずらしたくない。彼には気の毒だが、この人間社会の定めに従ってもらおう。袷の肌着を身に付けた我が子を、静かに湯に漬ける。乾いた産衣が湯を吸って肌に吸い付く。その瞬間にいつも彼は泣き出してしまう。育児書によると、新生児というものはつい最近まで羊水の中に漬かっていたので水は恐がらないと書いてあるのだが、風呂嫌いという僕の遺伝子を受け継いでいるのか、火がついたように泣き出す。片手を離し、肌着の紐を解いて胸をはだけると薄い皮膚に血管が透けて体中が赤い。湯を胸にかけてやると手足をバタバタと動かして真っ赤になって泣く、まるでゆでだこのようだ。この様子を見ていつも思い出すのが、なぞなぞや言葉遊びでよく聞く「茹でた孫(ゆで卵)」という言葉だ。しかし我が手にあるのは自分の孫ではなく、子である。さしずめ「茹でた子(ゆで蛸)」といったところか。まだ母親の胎内に居た頃の名残を留めるようにくるりと丸めた体の、皺と皺の間を手ぬぐいでこそぐように洗い流してやる。この、両の手のひらに全てが収まるほど小さな体に全ての器官が備わっていて、中に大きな命がひとつ入っている。当たり前といえば当たり前のことなのだが、なぜかこれが実に不思議に思えて、深い感銘すら覚えてしまう。
裏返す。自分の左腕を支えにして彼の両脇をそこへ掛けてやると、今まで泣いていたのが嘘のように泣き止む。まだ首がすわっていないのでうなだれたままだが、目をじっと見開いて前を見ている。まるでプールサイドにひじを掛けてくつろいでいるようだ。産まれたばかりでまだ赤ん坊らしくない痩せた尻から股にかけて洗ってやると、その心地よさからか笑顔をまだ出せない顔に、わずかな表情の変化を見て取れる、微笑むことはできなくても、安らぎを表すことはできるらしい。今の彼にとっての「一番いい顔」とは、こんな顔のことをいうのではないか。こちらからすると赤ん坊というものは、好きなときに寝、好きなときに起き、気に入らなければ泣き、風呂も人に入れてもらえて実にうらやましいご身分だなと感じるが、考えてみれば自分ではどうにもならないから、辛いときには泣くことしかできないのだ。オムツのかゆさにも泣いて耐えるしかない。そこから開放される唯一の時間が、尻と股を洗ってもらえるこの瞬間なのではないだろうか。
しかし、また元の仰向けに戻すと再び泣き出してしまう。結局、湯船から引き上げる段階では元のゆでだこに戻っていて、小さな体を真っ赤にして泣き叫びながら出てくるのでその姿はまるで今産まれた子のようである。だからバスタオルに我が子をくるんで台所から戻るときに「おめでとう、元気な男の子ですよ!」と冗談を言いながら出てくることにしている。体を拭ってやっていると、水から開放されたことをゆっくりと理解しはじめてだんだんリラックスしてゆくのが分かる。紅潮していた肌の色が薄桃色に和らいでゆく。胸に付いたピンクの小さな乳首がかわいい。洗濯された清潔な産衣に着替え、今度はのどの渇きを癒すおっぱいが与えられる、今日一日を精一杯生きたご褒美だ。はじめは勢いよく飲んでいたのがだんだんゆっくりになり、やがておっぱいから口を離して、彼はそのまま眠りにつく。
その様子をじっと見ている自分が今「一番いい顔」になっているのが分かる。

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