持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第4回】
~ はじめての沐浴 ~

入選

初めての沐浴

【一般部門】 福岡県  公務員  54歳

病院で初めて赤い顔をしたわが子を見せてもらったときこんなに小さくふにゃふにゃした生き物を触って大丈夫なのか自分で育てられるだろうかと漠然とした不安でいっぱいになり、食事ものどをとおらなかったのは24歳の夏でした。
30年も前のことですがシワシワでしかめた顔を昨日のことのように思い出します。
妊娠期間を通して体調は悪く、電車の中で立っていると気分が悪くなることがあり、しゃがむ姿勢から立ち上がるとクラクラして座り込むことも度々で疲れやすくて閉口していました。こんな調子の上、出産休暇が明けてからは主人の実家に同居して私が仕事に出ている間赤ちゃんの世話をしてもらうように決まっていたのです。いろいろな要素が混ざり合って気分はグレーで赤ん坊を迎えたのでした。
無事に生まれて身軽になった次の朝トイレに行こうとして廊下にでたら頭が真っ白になり次の瞬間には床に伸びていたのです。それを見た母がパニックになり「誰かきてー!」と大声をだしたものですから周りの部屋からは何事かと入院患者や看護婦さんが飛び出してきて大騒ぎだったとか。
予期せぬ出来事はまだあって病院に付き添ってくれていた母の実家の祖母(母の母)の容態が悪くなり急に亡くなってしまったのです。祖母のお葬式の日が私と赤ん坊の退院になり実家に帰ると父方の81歳になる祖母が迎えてくれ、ひ孫の誕生を喜んでくれました。
退院してほっとしたものの気がかりは赤ちゃんの沐浴でした。首も据わらない赤ちゃんをお湯に片手で支えていれるなど難しそうでまったく自信はありません。ですから母が不在で本当に困りまだ赤ちゃんを一度しか抱いたことのない主人とどうしょうかと相談していると「大丈夫、お湯くらい私がいれてやるから」と腰が二重に曲がった祖母が言うではありませんか。
主人は祖母が年をとっている上腰は曲がっているし本当に赤ちゃんの沐浴なんかできるのだろうかと心配になった様子でした。でも私は祖母なら上手だと直感しました。
祖母は十代の長男(私の父)を太平洋戦争にとられ病気の祖父に代わり田畑の仕事をこなしてきた人でした。息子の戦死の知らせが届き、お葬式も初盆も過ぎたある日、夢のように死んだはずの息子が帰ってきて、祖母は夜になってそっと息子が幽霊ではないかと確かめたそうです。辛いことを山ほど越えてきた祖母にとっては赤ちゃんの沐浴くらいでなにを大げさに心配するのやら・・と思ったことでしょう。
腰が曲がっていても畳の上にベビーバスを置けば大丈夫なのでした。慎重に衣類を脱がせて祖母に赤ちゃんを渡すと実に自然に抱いて、昨日まで毎日沐浴させていたという風情で赤ちゃんを丁寧に洗ってくれたのです。赤ん坊が小さい手を泳がせると祖母は「おちびさんが怖がるから手にガーゼをかけてやって」と赤ちゃんの専門家のようなことを言います。思いがけない展開に私はすっかり安心してうれしくなっていました。
それからもおむつかぶれができればウールで手製のおむつカバーを作ってくれたりする、明治生まれの祖母の知恵はすばらしく新米の母親は二人のばあちゃんに助けられて育児に対する気持ちをゆったりと持つことができました。
祖母には育児も生活の一部のごく自然なことなのだと納得したものです。赤ん坊は成人し祖母は93歳で他界しました。ときどき夢の中に現れて、目が醒めると私に逢いに来てくれたとジーンとしてなつかしく、初めての沐浴をさせてくれるばあちゃんとひ孫の様子を写真に撮っておくのだったと残念に思うのです。

ページの先頭へ

電話をかけて相談・問い合わせる

お問い合わせ 0120-01-5050
(9:00~17:40 土、日、祝日、会社休日を除く)

PCサイトを表示する