【第4回】
~ はじめての沐浴 ~
入選
決心
【一般部門】 熊本県 会社員 35歳
「明日から俺がやるから。」そうやって3日がたった。別にやりたくないわけではない。むしろ1日でも早くやりたかったし、実際本を読んで勉強もしていた。生まれる前からの約束は、お風呂は私が入れるということだった。しかし、わずか10分程度の沐浴がとても重大な任務に思え、積極的になれずにいた。
妻が退院して最初の沐浴。今日のところは見本ということで妻が担当。どこで習得したのか思った以上に手際がいい。次の日「やってみる?」と言われたが「今日は沐浴のビデオ撮影をしよう。」と言い妻に任せた。その次の日「今日の夜、もう1度本を読み直すから明日からね。」と言う。明らかに逃げている自分を見透かしたような顔で妻が私の顔を見ていた。そしてその明日がやってきた。断る理由を往生際悪く探していると、「あのね、24時間私は面倒みているのだから、お風呂ぐらい入れてください。」と妻から最後通告を受けた。これはもうやるしかない。覚悟を決めてはじめての沐浴のための腕まくりをした。
やはり本のようにスムーズにいくはずもなく「左手がつる!」「背中はどうやって洗うんだ?」「首がこわい」と頭に血がどんどん上っていくのがわかる。まだ寒い日なのに汗が出る。妻を巻き込んでの大騒動だ。そんなときふと子供の顔が目に入った。眼を閉じたまま小さな手でタオルをにぎりしめている。口はホの字になりながら、なんとも気持ち良さそうにしている。その安心しきった顔を見ているうちに頭に上った血がスーッと降りていくのがわかった。そして改めて子供の体を頭から足先まで眺めてみた。まだ小さな小さな体だが確かに今自分の手の中に生きていた。自分がちょっとでも手を離したらこの子は生きていけないのだという思いがこみあげてきた。大パニックだった私がしばらく呆然となり、何もせずに子供をお湯の中で抱きかかえたままでいるのを妻は不審に思いながらも何も言わず、少し笑いながら横で見ていた。こうして私のはじめての沐浴は終わった。腰がくだけるのと同時に座り込んでいた。
約10ヶ月の間、妻は大好きなビールを1滴も飲まず、大嫌いなレバーを少しでもと顔をしかめながら食べ、必死で守り抜いた命が今ここにある。この命の親は自分なのだと再確認した。3日間臆病にも逃げ回ったが、はじめての沐浴は一生忘れられない思い出となった。「どうだった?」と、問いかけた妻の顔は、少しだけ母の顔になっているような気がした。まだ泡のついた手と顔をそのままに、たぶん真っ赤になった目を上げて私はこう答えた。「ありがとう。俺がんばるよ。」