【第4回】
~ はじめての沐浴 ~
特別賞
94歳 祖父の沐浴の心得
【一般部門】 清水万理 東京都 主婦 42歳
6年前、初めての出産は香港の病院でした。英国系の病院とはいえドクターもナースも香港人、英語になったり広東語になったり、そして時には日本語での説明も交えての長い10ヶ月の末、わが子を胸に抱いた瞬間、大粒の涙が溢れて止まりませんでした。
日系のデパートで育児書を買って読んでいたものの、病院での赤ちゃんの最初のケアにはやはり戸惑いました。新生児室に並んだ赤ちゃんは皆身動き一つ出来ないように布に包まれ、顔だけが覗いていました。母親にしっかりと抱かれている状態に一番近いということでしたが、大変不思議な光景でした。ところが沐浴指導では、裸にした赤ちゃんにガーゼをかけることもなくお湯に入れて洗い始めます。慣れた手つきのナースはくるっと赤ちゃんをひっくり返して洗い終わり、チェンジングマットへ。
出産のための2泊3日という短い入院期間で、新米ママの私は自分自身の興奮状態も冷めぬまま一抹の不安を抱え自宅に戻りました。
退院してすぐ、横浜の祖父からエアメールが届きました。その時祖父は94歳。明治生まれの人らしい文字で縦書きの便箋にしたためられていたのは、『赤ちゃんの身体を洗ってあげるときの心得』でした。
一、最初に必ず母が湯加減を調節してあげて下さい。必ず忘れずに。
二、まず、少し温めてぬれたガーゼで赤ちゃんの背中から肩、それに両腕先まで包むように被って下さい。湯に入るときに何か手に被っていないと大変怖がりますので。
三、母の左手の中に赤ちゃんの頭を落ち着かせ、その左手の親指で赤ちゃんの右耳たぶ、母の左手小指で左耳たぶをふさいで水が入らない様に押さえておいてください。
四、程よい湯加減で洗ってあげると赤ちゃんは大変喜ぶようです。
そして最後に一言、『おじいちゃんは7人のこどもを全部こうして湯に入れ、お産婆さんの代理を務めてきました』と結んでありました。
この手紙を読んで私の不安は払拭され、沐浴ガーゼを使って小さな娘の身体を被い、自信を持って毎日の沐浴を続けたのでした。
気持が伝わるのか娘も気持良さそうに湯につかりながらしっかりと目を合わせる様になっていきました。
6歳になった娘が時々、手足の小さな擦り傷にお湯が沁みない様に自分でタオルをまいて湯船につかります。そんな姿を見ると、ふと、祖父の手紙とあの沐浴の頃を思い出すのです。
本当に幸せなことにこの秋、二人目のこどもが誕生します。祖父は100歳を迎え、今では祖父自身がヘルパーさんに入浴の手助けをお願いする立場になっていますが、今度もきっと、7人のこどもたちを湯に入れた遠い日々を思い出しながら新しい命の誕生を心から祝ってくれることと思っています。