持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第4回】
~ はじめての沐浴 ~

準優秀賞

委ねられた命

【一般部門】104票 鈴木ふき江 静岡県  主婦  60歳

2003年4月、密かに心待ちにしていた内孫が授かった。私にとっては5人目の孫であるが内孫は初めてである。息子34歳、嫁32歳、私の時代と較べると遅い初産であったが、元気な男児の誕生にほっと胸をなでおろした。退院を間近に控えた病室、窓からは葉桜の新芽が眼に染みた。
「今から沐浴指導を受けてくるからね!」
息子はそう言って嫁と共に病院の沐浴指導室に入って行った。大きな身体に、白衣のエプロンを不器用に着け、照れ臭い笑いを残しながら…
新米パパとなった息子の姿を追いながら、私の中で35年前の出来事が重なり合った。
1968年9月、息子は3280gの標準体重で生まれた。里帰りの実家で初めての沐浴が始まった。小さな赤ちゃんと慣れない者同士の悪戦苦闘。赤ちゃんは全神経を集中させて、私に掴まろうとして必至にもがく。不安定な動きに全身を真っ赤にさせて……。湯船に落とすまいとして緊張している私を、見透かされているようだ。恐る恐る身体を裏返し、背中を洗い、足し湯をして落ち着くころには、お互いに疲れ果てていた。しかし足し湯の後の赤ちゃんは、目をつぶり本当に気持ち良さそう。お腹の中で窮屈だった体を思いっきり伸ばし、安心した表情ですべてを委ねている。腕に掛かる重みが、親になった責任の重さを感じさせてくれた。
沐浴にも大分慣れてきた生後2週間目頃から赤ちゃんに異変が現われ始めた。吐乳を頻繁に繰り返す。
「これがよく言う赤ちゃんの吐乳かしら?」と初めの中は楽観していたのだが日を追うにつれ酷くなる。噴水のように噴き上げて吐くようになり、おろおろした。異変は治まらず沐浴中でさえも吐乳し、湯船が白く染まった。訪れた病院の医師は、すべての検査を済ませ説明をしてくれた。「お子様は幽門狭窄症です。胃から腸の繋ぎが肥厚しているために一定量のお乳しか通過できないのです。」続けて医師は言った。
「そのままですと、とてもひ弱い子どもか若しくは、死に至ることもあります。」
初産の我が子がまさかそんな病気を持って生まれてこようとは夢にも思っていなかった。叩きのめされた私に向かって医師は、事も無げに言葉を続けた。
「この手術は先ず99%安全な手術ですから…。」
けれど生後三週間の赤ちゃんは4000g足らず、この小さいお腹を切るなんて!…。決心が付かない私を見て医師はアドバイスを示してくれた。2年前に同じ症状で手術された子どもがいることを教えてくれた。早速訪れたそのお宅では2才になったその子どもが活発に動き回っていた。その姿を目の当たりにして躊躇なく手術の決心をした。
手術室から出て来た赤ちゃんは保育器の中で小さく小さく見えた。
鼻や口から何本もの管が繋がれ、その痛々しさに堪えていた涙が溢れ出た。だがその手術のお陰で見る見るうちに元気になり、ミルクをいっぱい飲んでも吐乳する心配がなくなり、私は原点に戻って育児ができる幸せを感じた。
退院後、再び楽しい沐浴が始まった。お腹の傷跡は痛々しかったが手術前の不安に駆られながらの沐浴とは違い、安心感に満たされた時間を享受することができた。日毎に重くなってゆく体重と比例して私の中に親としての自覚が増えて行くような気がした。
30余年前、私の手の中にいたあの小さな命が、こうして又自分の子どもを沐浴させている。男の大きな手が不器用に、ぎこちなく赤ちゃんを包み込んでいる。初めての沐浴は愛しい我が子との素肌の触れ合いを確かめる最高の場である。親と子の強い愛情を育む大切な儀式とさえ思わせてくれる。沐浴の時間を通して”委ねられた命”をしっかり受け止めねばならない。
我が家の孫は、すくすくと育ち只今1歳5ヶ月、ファーストシューズが擦り切れるほどのいたずら盛りである。

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