【第3回】
~ 赤ちゃんのいる風景 ~
入選
ささやかな“実験”
【一般部門】 女性 38歳
生まれたての赤ちゃんは、楽しい夢でもみているかのように、眠ったまま笑ったりします。感情的なことではなくて、生理的なものだそうですが、その微笑に出逢うと、周りにいる大人たちは、ついつい嬉しくなって大騒ぎしてしまいますよね。
「あー、笑ってる、笑ってる」
そして自分も満面の笑みを、気づかぬうちに赤ちゃんにお返ししているのです。赤ちゃんもそれを見ているらしい、と何かの本で読んだ私は、生まれた子供で“実験”してみることにしました。オムツ替えの時、オッパイをあげている時、抱っこする時、泣いている顔を見る時も、できる限り口の端を上げ、目元をゆるめて“ニコニコ顔”を作るのです。だって常日頃、上の子たちのケンカの仲裁に入り、散らかったおもちゃを見て雷を落としている私の顔は、気がつくと険しい表情になりがちなんですもの。
小さい小さい赤ん坊は、無条件に可愛いです。
「可愛いねぇ、可愛いねぇ。レン君は、泣いてても怒ってても可愛いねぇ。」
おなかがすいたの? ふみゃふみゃふみゃ。 おしっこ出たの?ふみゃふみゃふみゃ。抱っこしてほしいの? ふみゃあ!
うん、抱っこしちゃうよ。だって可愛いんだもの。そうして私のニコニコ顔を、彼もじっと見るようになります。ぼんやり見えるくらいかな?あなたのママだよ。抱っこできて幸せだから、こんなにニコニコ顔なんだよ。あなたのその深い瞳は、まだなんにも見ていないはずなのに、全てを知っているみたいに私を見つめ返してくる。…ほら、今だ。
「レンくーん」(ニコッ)
「レン君、可愛いねぇ。」(にこにこ)
たまに、それに応えて彼も笑ってくれるようになります。毎日オッパイをどんどん飲んでいくうちに、その笑顔もどんどんふえていきました。
声をかけると笑うから、上の子たちも遊んでくれます。その取り扱いがちょっと乱暴で、はらはらもするけれど、赤ん坊は両親以外にたくさんの顔を覚えていくようです。犬も認識します。うちの犬たちの中では、長毛の犬より、明るい茶の顔に目鼻のくっきりした雑種の方がわかりやすいらしく、ニコニコ笑いかけたりしています。(もちろん犬は微笑み返しはしません。目玉に指が伸びてこないうちに、逃げていきます)
赤ん坊に向けた笑顔で、いたずら盛りの上の子たちを叱るのは難しく
なんだか優しいお母さんになってしまいます。反対に、本気でお兄さんを叱っている時の私の顔を、レン君もじっと神妙な面持ちで見詰めるようになってきました。はっと気が付いて笑いかけると、顔じゅうしわくちゃにして“いいお顔”。どうやら私の“実験”は、良い方向へ向かっているようです。こんな簡単なことに今頃気づくなんて、遅かったとも言えます。なにしろレン君は、私にとって五番目の子供ですから。五度目にしてやっと、赤ん坊との時間を心底楽しむことができるようになった私は、なんとも未熟な母親です。もっと早くにそれができれば、赤ん坊相手に思い通りにならなくて、いらいらすることもなかったかな。
でも、と私は思います。長男を初めて抱っこした時、とにかく私は必死でした。育児本も読みました。そうして大事なこと、そうでないことを、長い時間かけて選択し、何度も繰り返し失敗してこそ、今ここにいる五人全部の子供たちを、いとおしく思えるのだと。五人目が生まれると知った時、どの子も楽しみにしてくれたこと、誰ひとり、もう兄弟姉妹はいらないと言わなかったこと、それがこの私の十年間の育児の時間の、作り出したものなのです。レン君へのみんなの笑顔が、そしてレン君のこのニコニコ顔が、何よりの証拠です。
もうすぐ一歳の廉介君、生まれてきくれて、ありがとう。