持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第3回】
~ 赤ちゃんのいる風景 ~

優秀賞

ずっと出てこないでね

【一般部門】257票 奥村 由布子 埼玉県  主婦  29歳

「ずっと出てこないでね、ママの赤ちゃん。」2人目の妊娠4カ月当時、2歳半になる長男は、日に日にせり出してくる私のお腹に毎日、呪文のように囁いていた。母親が妊婦になっても、小児科、産婦人科、歯科、のお医者様達、そしてもちろん母親の説得も聞かず、母乳とさよなら出来なかった彼は、新しい命の誕生を頑なに拒み続けていた。テレビで出産のシーンが出ても、泣きべそをかきながらスイッチを消してしまうほど、ナーバスになった。何とか卒乳は出来たものの、妊娠8カ月頃には、赤ちゃん返りが始まり、トイレを拒否し、母親から片時も離れなくなった。次第に、食欲もなくなり、友達と遊ぶことも嫌がり、笑顔も減っていった。気分転換にと、大好きな動物園に連れ出しても、新幹線を見に行っても、それは一時しのぎでしかなく、彼の不安そうな表情がなくなることはなかった。
変化は突然やってきた。息子との入浴中に、パーン、と音がした。そう、破水してしまったのだ。慌てて着替え、主人の携帯とタクシー会社に電話を入れた。それより後のことは、ほとんど覚えていない。陣痛室で我に返ったとき隣りにいてくれたのは、主人ではなく息子だった。「ママ。ママ。」その真っ直ぐな瞳を見て、急に全身に活力が沸いてきた。よし、頑張って早く産むぞ! その決心がお腹の子にも伝わったらしく、あれよあれよ、という間に子宮口が全開大になった。しかし、そこで大量の出血があり、急激に陣痛が強まった。私は呼吸困難になり、いきむことが出来なくなった。胎児の心音も急速に下がり、分娩台の上からでも、病院のスタッフの方達が青ざめてゆくのがわかった。産んであげられなくて、ごめんね、赤ちゃん。ママも何だか、もうだめみたい。医師の指示で、会社から駆けつけた主人と、共に待合室に移動していた息子が、慌てた顔で分娩室にやってきた。朦朧としていた私に、「ママ、寝ないで!」愛しい声が聞こえてきた。そうだ、諦めちゃいけない。息子の励ましで、呼吸が自然と楽になった。医師からは、「子宮内が混濁しています。もう、一刻の猶予もありません。次の陣痛の波で産んでしまわないと、大変なことになります。」と説明があった。「んんんーーーーー。」30秒ほどいきんだだろうか。大きな泣き声と共に、3734グラムの大きな男の子が産まれた。間に合って、良かったあ。後ろを振り返ると、小さな瞳を輝かせている息子がいた。「ひーちゃん、どうも有難う。」私の言葉に「うん。」と頷くが早いか、パパに抱っこされ、一目散で赤ちゃんの所に飛んで行ってしまった。あれ?赤ちゃんいらないんじゃなかったの?ママは?頑張ったママはどうなるの?何だか淋しい!
「?」は、その後も続いた。息子は、私と次男の入院中も家に帰らなかった(子連れ入院可能な病院だったので助かった)。「赤ちゃんとバイバイしたくないもん。」え?ママと、じゃないの? 「赤ちゃん泣いてるよ。おっぱいあげて。」え?やきもち焼かないの? 退院後も、パパと公園に行くのを嫌がるようになった。「赤ちゃんと一緒にいたいの。」あんなに滑り台好きなのに?
すっかりお兄ちゃんぶりが板についてきた今では、毎晩、眠りについた弟の耳元で、こう囁いている。「生まれてくれてありがと。お兄ちゃんの宝物だよ。」

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