持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第3回】
~ 赤ちゃんのいる風景 ~

特別賞

妻のおなか

【一般部門】 野原 健史 東京都  会社員  33歳

近頃、僕にはとてもうらやましく思うものがある。それは妻のおなかだ。
僕の妻は現在妊娠三十一週目、丸く大きなおなかが突き出している。本人いわく「重いし、腰は痛いし、汗は出るし、食べちゃいけないのに食欲だけはやたらあるし、二人でつくった子どもなのに男はずるい」のだそうだ。
しかし僕にいわせればそれらのひとつひとつがうらやましい。つわりや陣痛、果ては会陰切開までもがうらやましく思えてくる。
そんなことを妻に言うと、「男は気楽でいいね」などと言いながら、自分のおなかをポンポンとさする。そしてちょっと眉を吊り上げながら僕に向かって、「どんなにつらいか実感できないくせに、女の人はうらやましいなんて、思いつきで言わないほうが良いと思う」なんてことをぴしっと言う。そういわれたらどうしようもないが、けっして思いつきや冗談でうらやましいと言っているわけではない。
ひと月ほど前、市の健康センター主催のパパママ学級に参加した時、パパの妊婦体験コーナーというのがあった。僕はそれを楽しみにしていたのだが、実際体験してみてちょっとがっかりした。それはサポーターのようなもので身体を締め付け、重りをおなかのあたりに押し込み、おなかをふくらませただけの代物だった。妊婦がどれほどつらいかをパートナーに知ってもらうという、その目的だけが強調され過ぎていて、生命を育むという神秘とその素晴らしさといったものが欠けていた。まるでスポーツジムのウェイトトレーニングの延長上にある何か特殊な訓練のようだった。
もちろんものごとには限度がある。妊婦体験と言ったって、実際男が妊娠できるわけもない。その中でも担当の保健士さんたちは工夫を凝らし(階段の上り下りや、落ちたペンを拾わせたりした)、面白おかしく未来のパパたちが、妊婦のパートナーの苦労を実感できるように心を砕いていた。それはそれでもちろん大事なことだと思うけれど、僕がうらやましく思うのは、当たり前だけど、それとはまったく異なる、生命を育むというもっと根本のところとつながっているもののことだ。
自分の胎内でひとつの命が芽吹き、成長していく。その過程で様々な変化が訪れる。時としてそれは痛かったりつらかったりするかもしれない。けれどそれは生命の営みの結果で、けっしてサポーターや重りのもたらすものではないということだ。僕はそういう営みの中に身を置いている妻とまだ見ぬ子どものことをとても愛しく思ったし、できることならその営みの中に、間接的にではなく、直接的に、僕自身も参加したいと願っているのだ。妻のおなかがうらやましく見えるというのは、つまりそういうことなのだと思う。
先日、僕の仕事が休みの日に、妻と早めの夕食を取り、ぬるめのお風呂に入ったあとで、妻のおなかの上から赤ちゃんをマッサージした。それまでにも胎動を感じたり、キックゲームをしてみたことがあったけれど、しっかりマッサージをしてみるのは初めてだった。
本を見ながらおそるおそる妻のおなかに力を加える。力加減を妻に確認しながら赤ちゃんの体勢を確かめる。赤ちゃんに話しかけながら触っていくと、頭、背中、おしりとわかる気がする。ということはこれが足、と押してみると、蹴り返す。嬉しくなって両手でその身体を包むようにすると、僕の手に甘えるように大きく動く。そのときの感動といったらない。喜びといったらいいのか、何といったらいいのか、よく分からない熱いものが胸の奥からこみ上げてくる。妻の顔を見ると彼女も目を細めて頷き返す。
こういう幸せもあるものだとゆっくり噛み締めた夜だった。
妻のおなかを見ると、今でもちょっとうらやましく思うけれど、妻がいて、そのおなかに赤ちゃんがいて、そして僕がいるというのも案外悪くないんじゃないかと、今では思う。

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