【第2回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
佳作
「あなたの母に」
【一般部門】 和田 みどり 愛知県 主婦 33歳
「こんな子いらない」
生まれたばかりの娘。あんなにも生まれる日を待ち焦がれて、身を裂くような陣痛の痛みを乗り越えて、やっと私のところへやってきた、小さな小さな赤ちゃん。なのに私の心は、彼女の存在を意識の中から、かき消そうとしていた。
「なんて母親」「ひどい母親」
そう考えると、ますます自分がみじめになった。
娘を出産して五日目。夫と私を前に小児科医は告げた。
「娘さんは・ダウン症・の疑いがあります」
その時、私は生まれて初めて・奈落の底・というところに突き落された。
「何?なんて言ったの?・ダウン症・?私の子どもが?誰かウソだと言って」
だけど誰も「ウソだよ」とは言ってくれない。誰も・奈落の底・から私を助け上げてはくれない。
・ダウン症・とは、先天性の染色体異常で、知的・身体の発達の遅れを伴う。そんな身の上で生まれた娘がかわいそう?そんな障害児の親になった自分がかわいそう?何をどう考えても、その現実を冷静に受けとめる心の余裕が、その時の私には全くなかった。ただ主人だけが、長い長い沈黙の後にこう言った。
「せっかく生まれてきてくれたのに、自分が生まれたことを、自分の両親が悲しんでいるなんて、あの子がかわいそうじゃないか」
本当にそうだと、頭では思った。
「よく生まれてきたね」
と言ってあげたかった。でも、涙は止まらない。無理に止めたら心が破れてしまうと思った。だから一晩中泣いた。きっとこの涙はずっと止まることはない。たとえ止められたとしても、もう二度と私が心から笑う日は来ない…。そう思っていた。
こうして、生まれたばかりの娘と、三歳になる息子と、家族四人の暮らしが始まった。娘の名前。「ひなの」と名付けた。ひなのは、いつも寝ていた。何の反応もない赤ちゃんだった。いるのかいないのかわからないくらいに。
何も知らない息子は、すぐにちっちゃな妹の虜になった。ヒマさえあれば、ベビーベッドにかじりつき、寝ている妹の枕もとにままごとのケーキやおにぎりを並べた。
「ひなちゃん。おいしいよ。食べてね」
「ひなちゃん。かわいい」
「大スキ。ひなちゃん」
彼の言葉に、このふがいない母は、どれだけ助けられ、励まされたことだろう。そんな彼に感化され、我が家では、・ひなちゃん笑わせ大作戦・を展開するようになった。息子とふたり、大きな声で歌をうたった。寝ているのをわざと起こして、ホッペをつついたり、くすぐったりした。いっぱいいっぱいキスもした。起きている時は、家族のいるリビングの床やソファーに寝かせ、いつもいつも話しかけた。ことに、息子の与える刺激のシャワーは溢れるほどだったと思う。娘の反応はすこぶる悪かったけれど、そのうち少しずつ笑うようになった。
「あ!今、笑ったよ」
「また!笑った。笑った」
「かわいーい!!」
私たち夫婦が、親バカになるのに、長い時間はかからなかった。家の中に笑いが戻った。あっけなく。私が予想していたのに反して、心底から笑っている自分がそこにはいた。
それまで私は、自分のお腹から新しい命を生み出した時点で、誰でもいつでも「母」になるものだと思っていた。少なくとも息子の時はそう信じて疑わなかった。でも、娘の時は違った。・告知・の直後、私は娘の「母」ではなかったから。私はいつ、彼女の「母」になったのだろう。
出産から三週間後、産院の小児科医に呼ばれ、・ダウン症・であるか否かの検査結果を聞いた。染色体の異常を示した図を見せられ
「娘さんは・ダウン症・でした」
と、はっきり告げられた時、不思議と前のような絶望感には襲われなかった。
「明るく、人懐こい性格の子が多いので、まわりの人に愛されます」
「発達の速度はゆっくりですが、少しずつ成長します」
「何よりも、心臓の合併症を早く治しましょう」
いろいろな特徴や、注意事項を聞いても、ひとつひとつ冷静に聞いている自分がいた。でも
「昔ほどではありませんが、短命という特徴もあります」
このひとことを聞いた瞬間、思わず涙が溢れた。
「こんな子いらない」と、思った自分。「心臓が悪いならいっそのこと…」と考えた自分。
なのにその時、「生きてほしい」と思った。なんとしても生きてほしい。娘の人生を精一杯。障害があっても、彼女の人生は彼女のものだもの。 ああ、どうしてこんな風に思えるようになったんだろう。
娘が私に教えてくれたこと。命にはいろんなかたちがあるっていうこと。「しょうがい」があってもその命の重さ、その命の尊さには優劣なんかないってこと。「しょうがい」があったって、無限の可能性が彼女にはある。負け惜しみ?強がり?いいえ。どんな人間だって、その人なりの役割がきっとある。だって娘はもうすでに、私たち家族に、こんなにもたくさんのことを教えてくれている。三十ウン年生きてきたのに、私って、なんにもわかっていなかった。こんな母を、ホントの「母」にしてくれた。いいえ、今も「母」に育ててくれつつあるのかな?
生後五ヶ月での九時間の心臓手術を乗り越え、生死の境もさまよった。そんな娘も、もう四歳。今ではめったにカゼもひかず、元気いっぱいに育ってくれている。
「おがあじゃん」
といっぱいの笑顔で私を呼ぶ。
「おがあじゃん、だあいじゅぎ(大スキ)」
と、私に抱きついてくる。いっちょまえな口を聞き、反抗期真っ只中。母は笑ってばかりもいられない。でも、こんな毎日。普通の毎日。そんな月日が私たちを本当の「母と子」にした。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「生きててくれて、ありがとう」
ごめんね。あなたが生まれてすぐに言ってあげられなかった。あなたが生きる限り、私が生きる限り、きっと私はその事を詫び続けるよ。でも、その後悔以上に今、こんなにもあなたを愛している。
「あなたの母になれて良かった」
あなたは私の子ども。私はあなたの母。私が死ぬまで。ずっと。ずっと。