【第2回】
~ 赤ちゃんが教えてくれた喜び ~
優秀賞
「小さな生命の大きな力」
【看護婦助産婦部門】 新井 千香 愛知県 看護婦 36歳
午前零時、数ある手術室の一つで、眠い目をこすりながら必要物品を最終チェック。間もなく緊急手術が始まる。一年半ぶりの夜勤で、心拍数が増加していく。そこへnicuから、昨日生まれた2100gの患者が運ばれて来た。既に気管内挿管され、医師がアンビューバックを揉んでいる。小枝のような四肢に、点滴チューブ等、何本も繋がっている。見るのも痛々しい。臀部に児頭大の腫瘍が付着している。あっ女の子だ。思い出す。あれは一年前。
「おめでとうございます。可愛い女の子ですよ」。助産婦さんは、生まれたばかりの赤ちゃんを沐浴させ、まだ分娩台に横たわる私に手渡してくれた。我が子を抱いた初めての感触は、今でもはっきり覚えている。温かくて柔らかで何とも心地よい。それまでの痛みや苦しみを忘れ、かつて体験したことのない満足感だ。「おぎゃあおぎゃあ」と力の限り泣く声。耳障りどころかもっと聞きたい。我ながら不思議だった。看護婦として、子供の手術に幾度と立ち会ったが、接し方がわからず、悪戦苦闘。それが母親になると、我が子は可愛く、自然に笑顔になる。この子の母親はまだ産科病棟のベッドの上。どんな気持ちでいるのか。やっと会えた我が子。手術室の厚い壁に隔てられ、触れる事も出来ず、声すら聞けないなんて。同じ母親として心が痛む。
「メス!」。手術開始。メスの後を追うように創部が赤く染まっていく。「電気メスが効かない!abcにしてくれ!」「はいっ」。より強力な止血器械を使用する。これが効いて、出血はみるみる減少。しばらくして医師が言う。「良性腫瘍だ。このまま剥がしていけばきれいに取れるはずだ」。この言葉に一つの光を見た。すぐに手術室前で心配する家族に知らせたかった。ちょうど血液ガス分析の検査を依頼され、部屋を出た。測定結果待ちの間に、家族に告げる。「手術は順調ですよ」。父親らしき人が「ありがとうございます」と言い、それでもまだ廊下を行ったり来たりしている。年配の女性はハンカチで目頭を押さえ、そっと会釈した。多分おばあちゃんだろう。以前の私なら手術に立ち合うのが精一杯で、家族への配慮まで気が回らなかった。何だか少しいいことをしたような気分。検査データを手に、部屋へ向う。
ところが、データを見て驚いた。大気中の二倍量もの酸素を投与しているのに、血液中には正常値の半分しかない。さらに貧血。急に不安になり、すぐ医師に報告した。ただちに輸血開始。身体が小さいので、注射器で少しずつ入れるが、血圧が急に下がった。「血圧20!ハートレート低下!」。大声を出した。「ボスミン!」「はいっ」。強心剤は部屋にない。倉庫の救急カートへ走る。ボスミンを注射器に吸い、麻酔医に渡す。静脈注射するが効果がない。その間にも血圧は低下。ついに測定不能。心電図波形も緊張がなくなっていく。「先生!qrs幅が広がってます。40!フラット!」。一直線になった心電図を前に、手術は中断。心臓マッサージが開始された。新生児の心臓は小さく、一分間の心拍数も多い。すぐに医師の手の動きは鈍くなる。術者と助手は何度も交代しながら、マッサージを続ける。赤かった子供の顔が、だんだん青くなり、やがて黒くなっていく。マッサージを止めると、心電図はフラット。採血したくても血液は引けない。輸血をしていた麻酔医が「かたくて血液が入らない」と叫んだ。(だめかもしれない)次の瞬間、時が止まった。辺りはシーンと静まり、心臓マッサージだけが続けられた。家族に「順調です」なんて言わなければよかった。(死ぬ?)ミルクの甘い匂いと共に、分娩台で抱いた我が子の姿が甦る。冗談じゃない。ここで死なせてどうするのだ。この子の母親にもあの感触を味わって欲しい。私に何かできることはないのか。今となっては悔しいが何もない。ただモニターを見つめて、記録するしかない。(お願い。生きて!)手に力が入る。心臓マッサージは続いている。麻酔医は少しでも輸血しようと試みているが、ほとんど入らない。採血も出来ない。お手上げだ。「畜生!」。小さく呟いた。長い長い時間が過ぎていった。
スタッフに諦めの空気が漂い始めた頃だった。二時五十二分、突然「ピッピッ…」と心電図に緊張が戻った。熱いお茶に放り込んだ氷のように、凍りついた時間が、一瞬に解凍した。モニター音と共に、人の声や手術器械の音が甦ってきた。時計を見ると、心臓マッサージ開始からまだ二十分しか経過していない。子育ての二十分はほんの一瞬だ。でもこんなに長く感じたことは今まであっただろうか。モニターを再度見る。「血圧57!ハートレート110!」奇跡だ。鳥肌が立ち、目頭が熱くなる。手術再開と同時に、「採血できた」。すぐに検査。原因が判明。体内にカリウムが大量に蓄積していた。利尿剤には反応しない。別の方法で治療し、バイタルサインはすぐに安定した。「腫瘍動脈をけっさつ結紮します」。峠は越えた。大きな腫瘍が取り除かれた。870gだった。
午前四時、無事手術は終了し、子供は室内のエレベーターで、nicuに帰っていった。待合室の家族に伝えた。「無事に手術は終わって、nicuに入りました。後ほど先生から説明がありますので、お待ちください」。声が震える。これだけ言うのがやっとだった。家族は、「ありがとうございました」と何度も何度も頭を下げた。
私は何もしていない。ただ見ていただけ。子供の生命力の強さが奇跡を起こした。後片付けを終え、窓の外を見ると、東の空に金色の光が差していた。新しい一日の始まりだ。どっと眠気が襲ってきた。スタッフ三人で、ソファーに崩れるように横たわった。「あの子、脳に障害が残るかもしれない」と麻酔医が言った。障害児でもいい、とにかく生きていて欲しい。あの子の母親もそう思うに違いない。子供を持って初めて解った。生命は平等なのだ。そう思いながら眠っていた。我が子の夢を見た。(はやく会いたい)日勤者が来た。何事もなかったようにまた一日が始まる。
「マンマッ!」満一才の愛娘・志歩は保育園で、私を待っていた。その笑顔に疲れが吹き飛ぶ。思わず歩み寄り抱きしめた。「今日は三歩歩きましたよ」と保母さん。たった一晩離れていただけなのに、ものすごく成長したように感じる。志歩はその名の通り自分の力で着実に成長している。子育てをしているつもりでいたが、子供から沢山の貴重な教訓を得る。どんな立派な人のお説教より、尊い。先程の新生児も、生命力の強さで、医療スタッフに諦めない勇気を与えてくれた。頭が下がる思いだ。親として、看護婦として子供と接することの喜びを感じる。そして責任の重さをかみ締めている。