持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第14回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~

入選

親孝行の日

埼玉県  無職  男性  57歳

僕たち夫婦は、なかなか赤ちゃんを授かる事ができなかった。結婚して始めのうちはお互いにまだ子供は早過ぎると言って、あと五年後くらいがいいかなどと都合のいいことを言っていた。さあそろそろ子供が欲しいね、と言い始めてからはずっと妊娠できなかった。子供が欲しくてもできない夫婦はたくさんいるのだ、ということを知り、妻はクリニック通いを始めることにした。僕たちの両親は何も言わなかった。でも本当は孫の顔を見たいと思っていただろう。特に僕の父はずっと寝たきりに近い生活を送っていたのだから。
三年近くたった。僕の身体も何度か検査をしたが、不妊の原因は特定できなかった。
ところがあるとき、妻が嬉しそうに「できたみたい」と僕に報告してくれた。医者が、この子は貴重児ですよ、と言ってくれたそうだ。僕の人生に急に春が来た瞬間だった。
そして妊娠八ヶ月ころ、突然気分が悪くなった妻は入院生活を送ることになった。僕は会社の帰りに見舞いに行き、鉄分補給と言っては焼鳥屋でレバーを買って病室で食べさせたりした。具合の良くない日や心配で泣くときもあったが、妻はおおむね順調だった。
父は東京からは遠く離れた倉敷の療養施設にいた。なかなか会いに行くこともできず、年に二回、会えればいいほうだった。母が週に一度は面会に行っていたのでときどき様子を聞いてみるのだが、父は体調の良い日もあれば良くない日もあって、最近は日中ほとんど寝ていることが多いとのことだった。
そんな中、どうやら無事に出産の時を迎えた。僕は会社を早退して病院に向かった。この時のために机にいれておいたビデオカメラを持って。当時20万円もした最新鋭のカメラだ。これで赤ちゃんを撮って、父にすぐに送ってやるのだ。
病院に着いた時、夕方だったが、妻はすでに分娩室に入ってしまっていた。僕はソファーに腰掛け、ただ待つしかなかった。分娩室は静かだった。ときどき看護婦さんが出入りするがそれだけだった。4時間ほど経ち、急に部屋の周りが慌ただしくなった。僕はビデオカメラをいじっているが、まだ撮るものはない。気がつくと微かに産声のようなものがドアの向こうから聴こえてきた。僕はビデオを録画開始して分娩室のドアをずっと撮り続けた。間違いなく産声だった。しばらくして、どうぞ中に入ってください、と許可がおり、僕はその部屋に入った。息子との対面だった。人生最高の幸せとはこれなのかと胸が熱くなった。僕は妻と妻に抱かれている息子を夢中でビデオに収め、僕が息子をレンズ越しばかり見ていることを妻に笑われた。もちろんじかに見た息子は最高にいい男で、僕に似ているのは間違いなかった。
僕は外に出てすぐに母に電話した。母は「それは良かった、お父さんも喜ぶよ」と言った。ぼけ始めた父は僕の息子の誕生を理解してくれるだろうか。母によると、そのとき父は寝たきりの体をありったけの力で起こし、母の手を取って嬉しそうに笑ったということだ。自分で半身を起こすことなどありえないのに、よほど嬉しかったのだろう、と後で医者は教えてくれた。
僕は有頂天になり、妻の実家にそのビデオを持って行って義母に見せた。僕は嬉しくてたくさんビールを飲んで饒舌になっていた。
その日の夜中に突然母から電話があった。父が亡くなったというのだ。僕は青ざめ、凍りついた。しかし母は気丈だった。「お父さんは、嬉しくてもう思い残すことはないと思ったんだね。孫ができたことが最高の親孝行になったよ、ありがとうね」と優しく言った。僕の目は涙で何も見えなくなった。
その時の僕の気持ちをうまく伝えることは今でもできそうにない。

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