【第14回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
ニューヨークベイビーボーイ
大阪府 パート 女性 65歳
東京でOLをしていた私は37歳のとき思い切ってアメリカに渡った。
このまま目的も無く勤めているより、アメリカを皮切りに世界一周をして英語を身に着けて帰国し、本当のキャリアウーマンになろうと思ったのだ。のっぺらぼうの人生に終止符を打ちたかった事もある。
南部のモービルとアトランタの大学の英語コースで学んだ後、ニューヨークに行った。そこでひょんなことからビジネス新聞社で働くことになった。そしてあろうことか、同僚と恋愛をして結婚まですることになったのだ。そんなある日、婦人科に検診に行ったとき、思いがけず妊娠を告げられた。青天の霹靂だ。何と日本を出てから二年もたたない間に恋愛、結婚、そしてお目出度と女の道をひた走ったことになる。月日は流れ……
雪の降る3月1日の午後、マンハッタンの病院で物凄い声を上げて生まれてきた子供を、いろんな国から来た看護師さんや医師が祝福してくれた。その夜、赤ちゃんの見本市のように様々な人種の新生児が眠るベビー室の中に、うちの子も見本品の一つとして並べられスヤスヤと眠っていた、足首に『アベラベイビーボーイ』と書かれたタグを付けて。予定より2週間も早く生まれたのでまだ名前が無かったのだ。
翌日病院に、ニューヨークで働く日本女性が数人赤ちゃんを見に来てくれた。片手に載りそうなくらい小さい息子を、彼女たちは慣れない手つきで次々と抱っこした。いつも突っ張っているように見えた若い女性は、思わず泣き出してしまった。赤ちゃんだけが持つ無防備な安らぎに触れて、思わず心の鎧が取り外されたのだろう。
生後10日目位に、今は無きワールドトレードセンターの99階にある職場に息子を連れて行った。アメリカ人の秘書たちから、絶対に連れて来てと頼まれていたからだ。息子の顔を見た途端、全員が歓声を上げた。中には涙ぐむ人もいて、私も思わず貰い泣きしそうになった。一人で子育てをしているママもいて、やはり生まれたばかりの赤ちゃんの持つ安らぎに心を打たれたのだろう。
眠り始めた息子を、彼女たちは次々と抱っこをして、自分の部署に連れて行ってみんなに見せた。ワールドトレードセンターの98階から101階まで隈なく廻った後、ようやく息子は私の手に戻って来た、たくさんの手作り帽子やケープと共に。
2001年、テロでワールドトレードセンターが崩れたとき、既にあの会社は引っ越しをしていたことが分かりホッとした。しかし犠牲になった人々の無念を思うと、居ても立っても居られなかった。
生後半年になると、背負子に入れた息子を連れてニューヨーク中の美術館や博物館巡りをした。ニューヨーク現代美術館に行ったとき、たまたま催されていたピカソ、ブラック展を見てまだ半年の赤ん坊は大興奮をした。背負子の中で立ち上がって絵を指さし「オー、オー」と声を張り上げるのだ。それを見ていた若い素敵なカップルの顔に笑顔が浮かび、周りの人達にも微笑みが広がった。係の男性が笑いながら息子の顔を覗き込み、上品なおばあ様がやってきて「この子に神のご加護がありますように」と祈ってくれた。世界中からやってきた人々と赤ちゃんを通じて心が通い合ったあの瞬間は、アメリカでの大切な思い出の一つになっている。
思えば、ニューヨークの市場や地下鉄のホームで、新大阪駅の立ち食い蕎麦屋で、赤ちゃんだった息子を多くの人々が目を細めて見つめてくれた。人々の心にほんのりとした灯りを点すことができた。
今この年になり、街や電車の中で赤ちゃんを見るたびに安らかな気持ちになる。願わくは、多くの人が赤ちゃんや赤ちゃんを連れているママに優しい気持ちで接して欲しい、きっと癒されるのはあなたなのだから。