持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第14回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~

入選

奇跡の出会いと不思議な贈り物

千葉県  無職  男性  63歳

妻と出会い家庭を持って、息子が生まれた。そして4年後に娘が生まれた。
人生でいろいろな出会いを経験しているが、自分の分身である子供との出会いは他のそれとは違い格別な思いがある。それにしても、出会いとは人間の知恵でははかり知ることのできない事象だ。妻と私が偶然に出会い、息子と娘が生まれ、この子たちが成人してそれぞれが伴侶を得て家庭を築き、また新しい命を生み出す。さらに遡れば私の両親や祖父母がいて、その祖先がいて、先祖のうち一人でも欠けると今の私の存在はない。そして孫の存在もありえない。何世代も前から多くの出会いを繰り返して生まれてくる赤ちゃんとの出会いは「奇跡の出会い」と言うしかない。
息子が生まれた日、妻は朝早くから分娩室に入っており、私は義母と控え室の椅子に座りその時をじっと待っていた。時刻が午後3時をまわったその時、「オギャー」と泣き叫ぶ声が廊下に響いた。よく映画や小説の中で生まれたばかりの赤ちゃんに父親が狂喜乱舞するシーンがあるが、私はそんな風にはなれなかった。もちろん嬉しい気持ちは沢山あったが、それよりも私の子として生まれて来た子をしっかりと育てていかなければならない思いの方が強く感じた。その後すこしの時間が経ってから赤ちゃんを抱いた看護師さんがやってきて「おめでとうございます。元気な男のお子さんですよ」と言いながら私に生まれたばかりの赤ちゃんを渡した。ズッシリと重くてクシャクシャの顔をして私を見ていた。でも、それが「奇跡の出会い」と考える余裕は全くなかった。二人目は女の子と云うことで、看護師さんに「女のお子さんですよ」と言われた時は嬉しくてフワフワとした気持ちになったことを思い出す。その時も「奇跡の出会い」の意識はなかった。
それから30数年がアッと言う間に過ぎ、子供たちは成人し家庭を持ち、現在は女の子一人と男の子二人の孫に囲まれている。
二人の男の子は昨年の秋と今年の春に生まれたばかりの赤ちゃんで、齢60歳の身になり今さらながら「奇跡の出会い」として感動している。二人の孫は頻繁に実家に訪れては私たちジジババを喜ばせている。赤ちゃんの面倒を見るのは体力が必要で正直なところ老いた身体には結構堪える。けれども、抱いたりあやしたりすると返ってくる笑顔がなによりの癒しになり、嬉しさが込み上げる。その笑顔が見たいためにジジババは変顔や奇声を恥ずかしげもなくさらけ出し、赤ちゃんに接している。ただ、息子や娘は親として子供のしつけや教育など様々な問題を抱えての育児となり、そんなに甘い顔をしてばかりではいられない。自分自身も子供の育児には責任感で身が締まった経験もあるし、パパママの思いを考慮して過剰な甘やかしは控えている。
しかし、赤ちゃんに接する姿勢は親と祖父母ではどうしても異なってくる。「目に入れても痛くない」とはよく云ったもので、どうしても孫の所作に過剰に反応してはついつい甘やかしてしまう傾向があり、パパママたちからは顰蹙をかっている。
それにつけても赤ちゃんのいる空間はなせこんなに心地よいのか?赤ちゃんは不思議な存在だ。頭が全身の4分の1もあり手足が短く胴が長くて4頭身、そして丸い顔、無心な笑顔、独特な匂い、余りにも無防備など、それぞれがまったく意識をしない動作となり、それら全てが大きな魔力となって「大人は操られているな」と思う。
親となった子供たちも過去にはその魔力によってジジババたちを翻弄し、祖父母からたくさん愛情を注いでもらった過去がある。そのことは彼らの記憶に残り、大きな財産になっているはずだ。私も「奇跡の出会いと不思議な贈り物」に感謝し、子供や孫たちの未来のためにも節度ある態度で臨み、ジジの役割を果たしたい。

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