【第14回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
ルースマーガレットと私
神奈川県 主婦 女性 45歳
その子は、ルースマーガレットという名の一才の女の子で、出会ったのは20年も前だが、白い肌に透きとおるビー玉みたいな綺麗な目が心に焼き付いている。
ある日、知人から週に一回平日にベビーシッターのバイトをしないかと持ち掛けられた。相手は米軍基地に住む将校の奥さんで、週に一回基地外で英語教師をしているので、日中そのお宅で赤ちゃんの面倒を見てくれる人を探しているというのだ。当時私は、20代の独身で派遣社員として事務の仕事をしていた。私は単なる好奇心から、その仕事を引き受けた。派遣社員はシフト制だったので平日一日くらいは休みをいれることが出来た。
簡単に引き受けてみたものの、私の周りには全く赤ちゃんがいなかったので、その扱いに全然慣れていなかった。私は、赤ちゃんをどうしてよいものかわからず、最初は腫れ物に触るようだった。元気によちよち歩きをして、引き出しを開けようとしたり、ドアから出ようとしたりするので、とにかく怪我をさせないように神経質になっていた私は、「それは、ダメよ、それも危ないからダメよ」とダメダメと日本語で連発していた。まだ言葉が解らないのだから日本語でいいと思っていた。すると翌週奥さんから、「“Dame”って、どんな意味?この子が初めて覚えた日本語なの」と嬉しそうに言われ、私は言葉につまった。奥さんは、日本語は「ありがとう」くらいしか知らなかったので、ベビーが何かするたび日本語で「Dame? Dame?」と聞くので感動したらしい。“ダメ”は、英訳すれば、“NO”である。非常にネガティブな言葉である。私はベビーが怪我をしないようにダメダメ言っていたけれど、私がベビーに“No, No”と言っていたと知ったら、悪い風に取られないとも限らない。取りあえず、言い訳がましい説明をしたが、ベビーの言語能力に驚かされた。
日中はベビーと二人きりだった。ベビーは、私が(英語で)言うことはある程度理解できるが、まだおしゃべりができなくて、ごく簡単な単語を少し言うくらいだった。でもシッターを初めて数か月すると、絵本を開いて描かれている動物を指さし、“What is this?”と私が聞くと、” Dolphin”とか ”A kitty ”などと答えるようになり、その発音は私には到底まねの出来ないネイティヴのそれなので、へんに感心したものだった。
二人きりの時は、私は勝手に「ルーちゃん」と呼んでいた。子供は好きだったので、私は全力でルーちゃんに接した。ベビーフードを食べさせたり、ミルクを飲ませたり、一緒に昼寝をしたり、その間、私は、ルーちゃんを笑わせようとコメディアンみたいにおどけてみせた。そんな私の愛情みたいものをルーちゃんは、ちゃんと分っていたらしく、ルーちゃんも私に愛を示してくれ、私がシッターに行くと、全身で喜び、キスの嵐をくれ(私はこういうのに慣れてないからちょっと困った)、また私が帰る時には大声で泣いた。その頃私が抱えていた大小の悩みも、ルーちゃんと全力で遊んでいると、すっ飛んで行ってしまった。けれど、半年目くらいだったか、私たちに別れがきた。旦那さんに異動命令が出て、帰国することになったのだ。私はルーちゃんのことが大好きで、大袈裟に言えば、このまま引き取って育ててもいいくらいな気持ちだった。ルーちゃん一家が帰国した後、数年、奥さんは、クリスマスになるとルーちゃんの写真とクリスマスカードを送ってくれた。勿論嬉しかったが、切なさも一杯あって、写真を見るのが辛いくらいだった。自然に疎遠になって、そして、もう20年が過ぎた。ルーちゃんは勿論私を覚えていないだろう。赤ちゃんの時に、日本で過ごしたということを親御さんから聞くくらいだろう。それでも、私は今でも時々、アメリカのどこかで綺麗なお嬢さんになったルーちゃんに、会いたいな、などと思うことがあるのだ。