【第14回】
~ 赤ちゃんとの出会い ~
入選
心のシーソー
広島県 主婦 女性 36歳
息子を妊娠する数か月前、夢を見た。
膝の上に小さな子供を抱っこしているのだ。
こちらに背中を向けているので、顔は分からない。もちろん、性別も。
でも、何故か男の子だと思った。
鼻から顎に当たる柔らかな髪の毛の感触が、夢から覚めてもはっきりと残っていた。
けれど慌ただしい日常の中に、徐々にその感触は薄れていった。
高齢出産となる35歳で、初めて出産した。
お腹の中にいるときから、2週分大きかった息子は、最後まで骨盤に入ることができずに緊急帝王切開で生まれた。
生まれてきた息子は、おっぱいをなかなかうまく咥えられない。
病院の授乳室ではいつも居残りだった。
家に戻っても、おっぱい拒否が続く。ミルクには喜んで吸い付く。
母乳育児なんて、妊娠中はちっとも考えてなかったし、こだわろうとも思ってなかった。
なのに、出産後の私は、母乳育児がしたくてたまらなかった。
それに抵抗するかのような、息子。
毎日、授乳の時間が憂鬱だった。3時間おきに昼夜を問わず、その時間はやってくる。
私はだんだん追い詰められていった。
陣痛が始まって以来、3時間以上まともに寝れていない。
なんで、飲まないの。
誰のために、頑張ってると思ってるの。
―どうして、普通分娩できなかったの。
私は、母親になってよかったの。
息子を責める気持ちと、自分を責める気持ちと。
もうぐちゃぐちゃだった。
幸い、実家の母が手伝いにきてくれていたので、家の中のことは全部任せることができた。
夫もできるだけ協力してくれた。
寝不足のなか、常に揺れるシーソーを抱えたまま、毎日は淡々と過ぎていった。
やがて息子は、離乳食が始まった。
その頃、母乳育児は、ミルク寄りの混合で落ち着いた。
そして今度は人見知りが始まった。
赤ちゃん講座に行った先で終始泣きっぱなしの息子を抱っこしたまま、私も泣きそうになった。
どこに行っても、息子の泣き声が響く。
他の赤ちゃんは、みんな楽しそうにお遊戯しているのに。
またもや、シーソーが大きく揺れ始める。
一つ問題に折り合いをつけても、また新たな問題が浮き出てくる。
人見知りなんて、私だってしていた。
外で泣く子もいれば、家に戻って泣く子もいる。
人見知りは成長の一過程だから大丈夫。
―それにしても、こんなに泣いてる子、他にいないじゃない。
育て方が悪い?過保護にし過ぎているのかな。
浮上しては落ち込んで、そしてまた浮上して。
私の悪いくせだ。
そういったある日、息子を膝の上に抱っこしてぼんやりとテレビを見ていた。
不意に、だいぶ伸びてきた息子の髪の毛が、ふわっと頬に触れた。
その瞬間、急に思い出した。
昔、夢でみた、その感触。
この子はこんなに柔らかかったっけ。なんて温かいの。
私、この子に会いたくてしようがなかったんだった。
夢から覚めた日の朝。腕の中にない温もりがさみしくてしかたなかった。
今、会いたくて抱きしめたかったこの子が、ここにいる。
声を出して、泣きたくなった。
私の気配に何か察したのか、息子が振り返ってきょとんと見上げてきた。
目が合うと、にっこりとほほ笑んだ。
かまぼこのような形の瞳に、私がしっかりと映っている。
溢れそうな涙を隠すように、慌てて息子を抱きしめると、息子は遊んでもらっていると思ったのか、キャッキャと声を上げて笑った。
私も、おかしくなって笑ってしまった。
毎日揺れる、心の中のシーソー。
きっとこれからも大きく小さく果てなく揺れ続けるんだろう。
泣いて笑って、不器用に親になっていく。
この温もりを抱きしめながら。