持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第13回】
~ 赤ちゃんとのふれあい ~

入選

生きる意味が産まれる

宮城県  主婦  女性  27歳

母になった勲章。
ヘソのすぐ下から十センチほど縦に伸びる、ミミズ腫れした傷跡にはそんな言葉が似合う。私が命がけで、この子を産んだ証であるのだから。
去年の七月七日の七夕の日、息子はやっと産まれてきてくれた。二晩の陣痛を経て分娩室に入ったにも関わらず、お腹にいた息子の心拍が低下しこのままでは死産になる危険があったため、緊急帝王切開に至った。
手術室でお腹を切り開かれたまま、ようやく産まれた我が子と初めての対面を果たした。やっと会えたね。この言葉に尽きる。それはもう、彦星にやっと会えた織姫のような気持ち。
けっこうな難産ではあったけれども、息子は本当に孝行息子である。産まれてくる前から、お腹の中にいたときから親孝行だった。
私は生きていて、良かったのか?
そんなことばかりを、ずっと考えていた。そんなことばかり考えて、夜も眠れなかった。眠れないので、生きる資格なんて自分にあるのかとまた自問する毎日だった。本当に辛かった。
おばあちゃん子だった私は、東日本大震災の津波で祖母を亡くしてしまった。津波が来る数分前までは一緒に居たのに、いつの間にか離ればなれになって、津波は音も立てずに我が家へと襲いかかり、濁流の中に祖母をさらって行ってしまう。
津波が来る数分前まで一緒に居ただけに、尚更悔しいのだ。あのときこうしていれば、ああしていればという、どうにもならないあの瞬間の映像が頭の中で何度もよみがえる。
誰が死んでもおかしくない状況であった三月十一日、生と死を分けたのは、ほんの僅かな偶然の積み重ねだったのではないかと思う。
子どもを授かり、震災から生き延びたありがたみをやっと素直に喜べるようになった。大きくなってくるお腹をなでて、歌を歌ってみたり。胎動を感じて、元気だねえと話しかける。こうしてお腹の赤ちゃんとのふれあいこそが、私の心を救ったのだった。
やっぱり我が子は可愛い。昨日よりも今日、今日よりも明日と毎日愛おしさは増すばかり。
いつか私のもとから少しずつ自立していく日がくる。一生のうち、息子との時間を一番多く共に出来るのは今の時期だけ。そう思うとなんだか切なくなって、一日一日のふれあいを大切にしたいとあらためて思う。
息子は甘えん坊で、いつも私にべったり。眠りが浅い子で、一歳を過ぎても夜中に何度も起きて泣く。夜中は私の抱っこじゃないと泣きやまないため、おかげで寝不足の毎日である。
こんなに私のことを必要としてくれている。私は生きていて良かったんだ。大変だけれどもそんな日々のふれあいを通して、私は生きていることの喜びを息子に教えてもらっている。
愛おしくって、ギュッと抱きしめる。最近では息子もギュッと抱きしめ返してくれるようになり、ほっぺにチュウもしてくれるようになった。子供がいるって幸せだ。生きているって幸せだ。

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