持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第13回】
~ 赤ちゃんとのふれあい ~

入選

私を変えてくれた赤ちゃん

福井県  公務員  女性  34歳

出口が見えない、出口があるのかも分からない真っ暗なトンネルの中を、手探りで進んでいるような苦しい不妊治療。その末に、ようやく私たちの所に来てくれた命。
妊娠判定の日、主治医から尿中のホルモンで妊娠判定をするスティックを見せられた。
陽性のマークがくっきり浮かんでいるのを見たときの嬉しさといったら・・・
「おめでとう」の言葉に、「ありがとう」と返すのも忘れた。第一声、口をついて出てきた言葉が「そのスティックいただけますか?」だった。
普段は内気な性格で、自分の意見を言うことが苦手だったにも関わらずだ。母になると強くなるというが、こんなに早く変わるのかなと、我ながらおかしかった。
夫、両親、不妊治療を応援してくれていた友人達にスティックを見せて喜びを分かち合った。
安定期に入ってからは、お腹の中の赤ちゃんとおしゃべりしながら一緒によく近所を散歩した。おしゃべりが楽しいのか、刺激が心地よいのか、よくお腹の中を動き回っていた。
自分以外の命と、24時間ずっと一体となって一緒にいるなんて経験は、誰にでもできることじゃない。
一日一日、感謝しながら赤ちゃんとの日々を楽しんだ。
丸一日、今までの人生で一番の痛みである陣痛を乗り越えて、赤ちゃんに対面した。
4Dのエコー写真で見ていた、そのものの顔で出てきた赤ちゃん。
24時間、277日、ずっと一緒にいてくれた赤ちゃん。
辛い陣痛も乗り越え、頑張って産まれてきてくれた赤ちゃん。
いとおしくてたまらない。
感謝、感謝の涙が溢れてきた。
これからもずっとずっと一緒に生きていこうと、頬をすりつけた。
産院を退院して、私の体と離れた赤ちゃんとの24時間一緒の生活が始まった。
想像していた以上に新生児のお世話は大変だった。
三時間おきと聞いていたはずの授乳が、私の場合は一、二時間おきだった。乳を飲んでも、おむつを替えても、抱っこしても泣きやまない赤ちゃんに途方に暮れた夜もあった。
寝不足の辛い日々が続いたとき、病院でもらってきた妊娠判定スティックを眺めてみた。
どんなに望んで産まれてきてくれたか。
これを見たとき、どんなに嬉しかったか。
そのときの気持ちを思い返すと、寝不足、夜泣きなんかに負けていられるものかと元気が湧いてきた。
二ヶ月を過ぎると、段々長く眠っていられるようになった。あやすと笑顔も見せてくれるようになり、お世話も楽しく感じられるようになった。
支援センターや、児童館に赤ちゃんと一緒に出かけるようになると、今までつながりのなかった人々との出会いが待っていた。
親しげに道端で話しかけてくれるおばあさん。子育て真っ盛りの戦友でもあるママ友たち。今までも近所に住んでいたはずなのに、赤ちゃんを通じて初めて交流を持てた、地域の人たち。悩みを相談できる、頼もしい助産師、保健師さんたち。ベビーカーを引いて手が不自由になっているのを見かねて、ドアの開閉をしてくれる優しいおじさん。
赤ちゃんとのふれあいは、他の人たちとのふれあいも運んできてくれた。
内気で引っ込み思案だった私が、少しずつ積極的に人と関わろうとする性格に変わってきている。
赤ちゃんがいなかったら出会わなかったであろう人たちとの交流は、何ものにも代え難い私の財産になっている。
ありがとう、赤ちゃん。

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