【第13回】
~ 赤ちゃんとのふれあい ~
入選
小さな命にありがとう
愛知県 看護師 女性 50歳
「おかえりなさい。私がママだよ。」
はじめてわが子を抱いた時、何故だかわからないが、こんな言葉を口にしてしまった。
息子の誕生日は出産予定日であった。お腹の中での10ヶ月間の旅を終えて私に会いにきてくれたような気がしてならなかった。彼にとって、この10ヶ月は長かったのか、短かったのかわからないが、私にとってはとても長く感じられ、早く会いたくて待ち遠しかった。
感激の対面後、答えられないとわかっていたが、好奇心旺盛な私は幾つかの質問をしたくてたまらなかった。
「お腹の中ってどんな感じだった?お水の中だからふわふわしてるのかなあ?」
「お父さんとお母さんはいつもあなたに話しかけていたけど、私達の声は届いていたの?」
「早く出てきたいと思ってた?」
「はじめてお母さんに会ってどう思った?嬉しい?それともがっかり?正直に答えて欲しいけど、こんな人だと思わなかったと言われたら、やっぱりショックだよね。」
はじめて抱かれた母親の腕の中で質問攻撃にあった息子はどんな気持ちだったのだろう。
何を聞いても気持ちよさそうにスヤスヤと眠っていた。
結婚前まで私はツアーコンダクターとして各地を駆け廻っていた。子供の頃からの憧れの職業で、四季折々の美しい風景に触れ、多くの人々と心があたたまるような出会いの中で仕事ができることに喜びと幸せを感じていた。大好きな仕事だったが、暖かい家庭を築き守っていくことを選択し退職した。しかし、子供に手がかからなくなった時にチャンスがあれば復帰したいと結婚後も勉強を続けていた。
妊娠して、私も母親になれると感じた瞬間、「やったあー。」と叫びたいくらいに嬉しくて幸せだった。だがその半面、子供を産んでしまったら、もしかしたら、永久にツアーコンダクターに復帰は無理かもしれないと赤ちゃんの存在を素直に喜べない身勝手な私がいた。
ふたつとも手に入れたいなんて欲張りだったかもしれない。妊娠5ヶ月の時、虫垂炎で入院した。幸い手術をせずに点滴治療で治すことができたが、お腹の中に宿っているひとつの命が心配で泣いてばかりの毎日だった。血管の細い私は毎日の点滴が苦痛だったが、健康で無事に生まれてくれれば私はどんな痛みにも耐えられると思った。神様は私に今、一番大切にしなければならないものは何なのかを考える時間を与えてくれたのかもしれない。この入院で私は少しだけ母親に近づくことができたような気がした。
息子が誕生した時、健康で元気な産声をあげて生まれてきてくれたことを感謝して、この日の感動を生涯わが胸に抱きながら大切に育てていきたいと思った。神様の巡りあわせで親子としての第一歩を踏み出す事ができたのだから。
感動のあの日から22年が過ぎて、現在、息子は国立大学の工学部の4年生。来春、大学院に進学して、将来は研究の仕事に就きたいと夢に向かって歩き始めている。親バカと笑われるかもしれないが、勤勉で努力家で思いやりのある優しい子に成長してくれて私の誇りである。
私は可愛くてたまらないわが子と離れてツアーに出る気にならず復職しなかった。けれども、出産を経験してひとつの命の尊さを見にしみて感じた私は、生きていくことの大切さを考えてみたいと願い、子育てをしながら勉強を続け看護師になり、今年でナース歴14年。福祉センターで看護師兼機能訓練指導員として高齢者とのふれあいに喜びを感じながら勤務している。
神様から与えられたひとつの小さな命。その小さな宝物をいつくしみながら、守りながら大切に育てていくことで穏やかで優しい気持ちを持ち続ける事ができた。そして、我が人生を見つめ直し、息子と一緒に頑張ることができた。息子の存在に感謝して、ありがとうと伝えたい。