【第13回】
~ 赤ちゃんとのふれあい ~
入選
つかむ親子
愛知県 会社員 男性 44歳
息子が、わが家にやって来た。
生まれてから約三週間。妻と一緒に退院し、妻の実家にしばらく滞在してからついにやってきた。
44歳にして初めて父親になった。育児で父親が手伝えることは何だろうか。おっかなびっくりオムツ替えをする位だろうか。
ミルクを与えるのを手伝えないかと思ったが、妻は完全母乳で育てたいと言う。母乳も順調に出ているので、息子に哺乳瓶をくわえさせる場面はなさそうだ。
となると、あとは沐浴である。多少ではあるが妻より手は大きいので、息子をしっかりとつかんでいられるだろう。世のお父さんと同じく、沐浴を自分の仕事と決めた。
決めた、と意気込んではみたものの、新生児の身体を洗うのはオムツ替え同様おっかなびっくりである。病院で教わった沐浴の手順を思い出しながら洗おうとするが、やれガーゼを使って洗え、耳にお湯を入れるな、顔によく泡をつけて洗え、石けんを目に入れるな、などと妻が横で駄目だしをしてくる。これには閉口した。
翌日、妻にお願いして沐浴中は台所に立ってもらった。隣で色々言われるから萎縮するのであって、ひとりのほうがちゃんと出来るよと、初めての子どものお使いのようなことをぶつぶつ言いながら息子を洗う。ほらちゃんと手順どおり洗えるじゃないか、と自己満足に浸っていると、それが油断につながったのか、手もとが滑って息子の頭をベビーバスの湯ぶねの中に落としてしまった。即座に拾い上げるが、大声をだすと妻にばれるので、無言のままであたふたする。しかし、当の息子は泣くこともなく、きゅううと声を出した程度で平気な顔をしている。どうやら自分の身に何が起こったか理解していないようだ。
それから一週間経ち、湯ぶねに息子を落とすというアクシデントはそれ一度きりで、当初は監視していた妻もそろそろ大丈夫だろうと判断したのか浴室にくることもなく、ちゃんと洗えるようになってきた。息子はまだまだ表情は乏しいものの、湯ぶねにつかると心なしかリラックスした表情をみせてくれるようになった。
しかし、小さなことではあるが問題が起きていた。
ベビーバスは浴室の洗い場に置いてあり、沐浴をしてから隣の脱衣場に広げておいたバスタオルまで息子を運ぶのであるが、湯ぶねからバスタオルまでのほんの数秒間で泣き出してしまうのである。それまで身体を包んでいた沐浴布をベビーバスに残して、文字通りの生まれたままの姿で移動するわけだから、たった数秒でも不安になるのだろう。泣くのは仕方ないのかもしれないが、なんとか泣かずに楽しい風呂上がりにできないものだろうか?
泣き始めるのを遅らせられないかと思い、それまで息子はお盆に物を載せて運ぶように僕の体から離していたのを、体に寄せて抱きしめながら運ぶようにした。当然、自分の服は濡れてしまうが仕方がない。
息子はいつものように泣き出そうとしたが、目の前の僕のTシャツをぎゅっとつかんでこらえた。
泣かない。
翌日から、しっかりと息子を抱きかかえてバスタオルまで運ぶことにした。
息子は僕のTシャツをつかんだ。
僕は息子を泣かせないコツをつかんだ。
父親になるということは、義務と責任という言葉がのしかかりプレッシャーなだけかと思っていたが、新たな発見と学びを日々得られることがわかった。子どもの成長とともに親も成長していくという言葉の意味が実感できた。
いまやベビーバスを卒業した息子と一緒にユニットバスの湯ぶねにつかり、目の前にぷかぷか浮かぶ彼を見ながら、ついひと月前に悪戦苦闘していたことを振り返っているのであった。
などと自己満足に浸っていると、息子の頭が半分沈んでいるのに気づく。耳がお湯の中に入っているではないか。バスタオルで水分を拭き取って服を着せる担当の妻が耳の水分を目ざとく見つけて、怒るシーンが目に浮かぶ。
息子は日々成長しているが、僕の父親としての成長はなかなか難しいのかもしれない。