持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第13回】
~ 赤ちゃんとのふれあい ~

特別賞

バトン

吉村 友美 広島県  主婦  34歳

平成25年5月、私は初めての出産を経験しました。
結婚して6年目、待ちに待った待望の妊娠でした。
産まれたての娘と対面したとき、そのあまりの小ささに驚き、そのしっかりとした呼吸に、命の重さを実感しました。
私たち夫婦の出会いは、全てこの子と会うために与えられた、偶然ではなく必然だったのかもしれないとさえ思えました。
退院後、実家から母親に手伝いに来てもらい、4人での生活が始まりました。
結婚するまでの間、一度も家を出たことの無かった私と久しぶりに生活を共にする母は、とても嬉しそうでした。
一方の私は、初めての子育てで戸惑うことばかり。
その上、なかなかおっぱいが出ず、痩せていく娘を見て不安に苛まれていました。
オムツを替えてもおっぱいをやっても、泣き止まない娘を見て途方にくれる夜が続きました。
母が「大丈夫、大丈夫」と言いながら娘をあやすと、ぴたりと泣き止む事も多く、そんな姿を見ると、自分は母親失格なのではないかと思い余計に悲しくなったものです。
ある日のこと、お昼寝をしている娘を見て「あなたの赤ちゃんのころにそっくり」母がポツリと呟き、「ほら、これ見て」と、実家に戻ったときに持ってきた数枚の写真を取り出しました。
色褪せたその写真には、やんちゃそうな三歳になったばかりの兄と、優しく微笑む母、そしてその腕の中で安心しきって眠る娘そっくりの私が居たのです。
物心付いたころから「母」は「母」で、そんな母にも若い頃があったという当たり前の事実ですら、私には想像が付きませんでした。
写真の中の母は愛おしそうに私を抱きしめ、その顔は母親としての輝きに満ち、菩薩のような美しさを湛えていました。
その時私は思い出したのです。
料理を作る母、内職をして夜遅くまでミシンをかけていた母、パート先でもらった小さなお菓子をわざわざ持ち帰り半分にしてくれた母。
流行の服に似た服をせっかく作ってくれたにもかかわらず、心無い言葉で袖を通すことすらしなかった事。自分が努力をしていないのに、全て境遇が悪いと当たった事。
そして、その全てを許してくれていた事実を。
泣いている娘をあやす姿、オムツを換える姿、ミルクをあげる姿、添い寝で寝かしつける姿。それは34年前の母と私の姿そのものでした。自分はこんなにも愛され、優しさに包まれながら育ってきた事実。母はいつも自分よりも私のことを優先してくれていたのに、近くにあり過ぎて私には何も見えてはいなかったのです。
母と過ごした6週間はあまりにも早く過ぎていきました。
しかしその中で、これから娘として、母として、そして一人の女性として生きていくうえで、とても重要な事に気付くことが出来ました。「親にならないと分からない事がある」とよく言いますが、若葉マークの私には、まだまだ学ぶことは多そうです。
これからの長い子育ての中、不安や迷うことも多いと思いますが「大丈夫、大丈夫」と、母がくれた大きな愛で娘を包み、抱きしめることで伝えていけたら、と思います。

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