持田ヘルスケア株式会社

スキナベーブ エッセイコンテスト

【第12回】
~ 赤ちゃんへの手紙 ~

入選

ありがとう

岐阜県  看護師  女性  27歳

2012年4月4日。あなたは可愛いお顔を見せてくれたね。産まれてきてくれてありがとう。
2011年8月。あなたがお腹の中にいる事に気付いたよ。パパ・お兄ちゃん・お姉ちゃん、みんながあなたがやってきてくれた事、とても喜んだんだよ。
9月。悪夢のつわりの始まり。1日に何度も吐いて、寝ても覚めても吐き気、終わりの見えない毎日。心が折れそうになる自分を奮い立たせるのに必死な毎日。
10月。運命の分かれ道。ママはうつ病と診断されました。あんなに嬉しかったはずの妊娠も、この時を境に受け入れられなくなってしまった。自分の中に得体の知れない恐ろしい怪物がいる、今すぐにでもお腹を引きちぎってしまいたい…言葉では上手く説明できないけど、そんな感覚だった。私には産む事は出来ない…なんて考えてたあの頃。軽々しく口にするべきではないけれど、中絶という言葉が常に頭の中にあった。
11月。パパが言った。「今君が感じている事、考えている事、それが例え道理にかなわない事でも、それは全て今の君の正直な気持ちなんだ。自分を責める必要なんてない。その気持ちを自分で認めてあげる事ができたら、前に進めるよ。焦らなくていい、ゆっくりでいい。」
12月。相変わらず妊娠を受け入れる事ができずにいる私。でも、少しずつだけど、自分の考えをまとめる事ができるようになってきた。パパの言葉の意味も少しずつ分かってきた。私は1人じゃない、家族のみんながいるんだと心から安心した。
2012年1月。切迫早産と診断された。いつ産まれてしまうのかという不安に押しつぶされそうな毎日。胎児の体外生活の適応について調べ尽くした。どうやら週数が目安になっているようで、あと○週!とカウントダウンする日々。「もし私の心に限界が来たら切って出してもらえばいい」なんてめちゃくちゃな理屈で自分を励ましていたりもした。
2月。出産について不安になった。あの陣痛を乗り越える自信が全くなかった。妊婦健診で、希望で帝王切開が可能かと相談もした。先生も看護婦さんも、否定的な事を言う人は誰もいなかった。安心できる言葉をたくさんかけてもらった。ここでも私は1人じゃなかった。
3月。また新しい不安にかられる。出産も近づいてきた。初めの頃に比べれば軽くはなったが、未だに妊娠を受け入れられていない自分がいる。妊娠中ずっとこんな気持ちで過ごしてきた私が、産まれてくる子どもを心から愛せるのかどうか…不安でたまらなかった。その時のパパの言葉。「ここからは僕が代わってあげられる。君はここまでよく頑張ったよ。出産は代われないけど、子育てはみんなでしたらいい。」
4月。赤ちゃんのタイミングを待ってあげる事はできなかったけど、誘発分娩で元気な女の子が誕生した。たくさんの人に支えられながら、乗り越える事ができた。
4ヶ月になった我が子。ママが分かるようになって、にっこり笑顔を見せてくれる。3人目にして初めての母乳育児。個性を受け入れられる心の余裕もできた。子育てがこんなに楽しいものだったなんて知らなかった。
今までは成長発達がどうとか離乳食がどうとか、頭でっかちになってがんじがらめになってた。どこか義務のように子育てをしてた。勝手に自分でやらなきゃって背負い込んで、自分で自分を追い込んでた。本当は周りには温かい手がたくさんあったのに気付かなかった。
病気になったからこそ見えた世界がたくさんある。感じてきた色々な不安は誰にでもある物なんだ。だからきっと大丈夫。これからどんな困難も乗り越えていけるはず。私は1人じゃないから。
さゆちゃん、私たちのもとに産まれてきてくれて、本当にありがとう。あなたのおかげで私は強くなる事ができました。パパの事、もっともっと大好きになったよ。家族の温かさを知ったよ。これからもたくさん笑ってたくさん泣いて、幸せな毎日を過ごそうね。

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