【第12回】
~ 赤ちゃんへの手紙 ~
入選
歩き始めとお風呂の記憶
千葉県 パート 男性 66歳
日々成長し変貌するキミ。二週間も会わないと見違えてしまいそうなキミ。一才四ヶ月になったキミ。この頃の印象的な出来事とエピソードを、何時でも思い起こせるようにこの手紙に託してキミに送っておこう。
二〇一一年の東日本大震災が発生した二週間後、五月生まれの予定を四十五日も早めて、三月に二キロにも満たない小さな体でキミは誕生した。パパと私達の娘であるキミのママはキミの育児に懸命だった。勿論、私(ジージ)も婆(バーバ)も家族全員でキミを見つめ慈しんだ。その甲斐有ってか、婆の言葉で言う「ミルクパンのような手」をした少しおデブな女の子になった。お医者さん通いも多いが元気に育ち、この四月からはママの仕事の関係もあり保育園通いが始まった。
一つ目の出来事。それは「カタカタ」を使ってではあるが、キミが歩き始めたことだ。五月下旬のことだった。パパが出張で留守。キミはママと二人で私達の家に五日程滞在した時だ。一才頃に掴まり立ちをし、伝い歩きを始めたが前進する歩行は未だだった。焦りがなかったといえば嘘になる。キミの歩行の手助けになる遊具がないか捜した。キミの大好きな「ミッフィちゃん」のついた歩行の補助具(カタカタ)を見つけた。これが大成功。「カタカタ」をおもちゃ替りにして遊び、一週間程してバーを握らせたら、立ち上がり歩き出したのだ。家族全員拍手喝采。キミは大喜びで図に乗り、廊下を行ったり来たり。翌日は、船橋の行田公園に保育園の遠足。青い空の下でキミは「カタカタ」で遊ぶのか?プログラムが進みオリエンテーリングが始まった。昨夜大喜びした「カタカタ」に掴まらせようとした。アララ、キミは「カタカタ」に見向きもしないし触ろうともしない。どうした?キミは気が向かないと動かない。楽しい昼食が過ぎて散会、公園内を歩いて帰途に着く。駄目で元元、もう一度「カタカタ」を与えてみる。バーを握った!歩いた!倒れた!芝生に足を取られた!泣き出すか?イヤ自分で立ち上がった!周りの助けは「カタカタ」を動かさないようにするだけ。それが良かった。自分で、自分の力で立ち上がったのが余程嬉しかったのか、その後も少し歩いては転び立ち上がりを繰り返す。とても嬉しそう。昨夜の何倍もの距離と時間を歩いた。後姿を見るとフリフリダンスを踊っているように見え微笑ましい。キミの歩行の始めの第一歩だった。(一週間程の後には何にも掴まらないで一人で歩ける様になったんだヨ)
第二のエピソードはお風呂。私たちの家に来るとお風呂にキミを入れるのは私の役得。私は先に風呂に入りキミを呼ぶ。裸坊のキミは「バーバ」に抱かれて渡される。私はお風呂に入る前にはお尻を洗い、あんよを洗ってから入るんだよと声を掛けながら洗ってあげる。湯船に浸かり、次は体全体を洗う。ボディーシャンプーを泡立て「右手から洗うよ」と声を掛け、泡を右手にこすりつける。キミは私の真似をしてシャンプーのポンプを押そうとする。力が足りないので泡が出ない。私がポンプを押して泡を手につけてあげる。すると両手をこすり合わせ、泡立て、体になでつける。「綺麗になったねー」と声を掛けると嬉しそうにする。頭を洗う時は少し嫌がるが、洗面器に描かれた「ミッフィちゃん」を見せながら「ミッフィちゃん」と一緒だよと言うとおとなしくしている。最後にガーゼで顔を拭く。頬がピンク色に染まって可愛い。「バーバ」を呼び、キミを風呂から上げる時、「可愛い美人、一丁上がり!」と言うと、小さく丸まりながらニコニコする。
キミは私達の宝物・生き甲斐になった。私達は君が喜ぶことは何か、今何が必要かを考えることに喜びを見い出していた。
この手紙をキミはいつ読んでくれるのだろう。桃の節句の似合う可愛い女の子、五月の風のように爽やかな頑張り屋さんに成長してくれているだろうか?