【第12回】
~ 赤ちゃんへの手紙 ~
入選
へその緒セレモニー
兵庫県 パート 女性 41歳
子供はいつか親から独立するもの。その最初の独立がお腹の中から出てくること。それなら、そのセレモニーとして「楽しかったよ。えいっ!」と言って、へその緒を切ってやりたい。私がそう思ったのは帝王切開の説明を受けた日の夜のことでした。
生みの苦しみも含めて味わいたいと思うほど、妊娠生活は幸せに満ちたものでした。つわりもなく、周りからは親孝行な子だね、よっぽど相性がいいんだねと言われ、その喜びに浸っていました。
けれどいざ出産となると、思っていたほど順調にはいかず、帝王切開になる恐れもあるとのことでした。セレモニーのためにも帝王切開は避けたいところ。複雑な思いになりながら、手術についての説明を受けました。
夫と二人で説明を受けていると、何ということ・・・。夫が目を白黒させて失神しているではないですか!立会に際して、倒れたという話は聞いたことがありますが、説明で気絶したなんて聞いたことがありません。ましてまだ手術の前段階の麻酔の話の途中です。どこに気を失う要素があったのか、今でもわかりません。説明は打ち切りとなり、夫は私の病室のベッドで休んで帰りました。
お腹の赤ちゃんは男の子。こんな気弱な夫に似たらどうしよう。情けないやら恥ずかしいやらで、気が滅入っていたのですが、いや、夫に似るとは限らない、そうだ、私自らへその緒を切って、この世に送り出してあげよう。そういう思いがふつふつと湧いてきたのです。
しかし予定日を過ぎても生まれてくる気配はありませんでした。これ以上、自然に待つことはできないと、促進剤を打つことになりました。
促進剤を打てばすぐにお産が進むと思っていたので、いよいよと覚悟を決めて分娩室に入ったものの、なかなか有効な陣痛は訪れません。アロマやフットバスなど助産師さんもあれこれ協力してくれましたが、思うように事が運びません。8時間後に切り上げとなりました。ぐったり疲れましたが、お腹の赤ちゃんは驚いたかのように心拍がとても早くなりました。のんびりしていたけど、やっと出てくる気になったのかな。「一緒に頑張ろうね」とお腹をさすりながら話しかけ、私は自分自身の気持ちの整理をしていました。
翌日、再び促進剤を打ちました。今日こそ、と思っていましたが、やはりお産は進みませんでした。さすがに2日目になると疲労もピークに達してきました。午後になり、赤ちゃんの位置を確認してみると、何ということ・・・。お腹の赤ちゃんは下りてくるどころか上にあがっていて、まるで逃げてしまったかのよう。夫が倒れたときほどの衝撃でした。これには先生もびっくり。結局、緊急帝王切開となってしまいました。私の思いをよそに、よっぽど居心地が良かったの?
ようやく生まれた赤ちゃんは3970gのビッグベビー。きっとお腹の中でゆったり大きく寛いでいたんだろう。産声を聞いてほっとしたのか、涙がこみ上げてきました。この時の素直な気持ちを込めて、何事にも動じず器の大きな人になってね、と『泰寛-やすひろ』と名付けました。
退院の日、先生は私の心配を察してくれたのか「大丈夫。お母さん似ですよ。2日も促進剤漬けになったのにマイペースでお腹の中にいたのですから。説明で倒れる旦那さんも僕は初めてですが、へその緒を自分で切りたいと言った妊婦さんも初めてです」と微笑んでくれました。
これが半年前のお母さんと泰寛のお話。おっぱいを飲むのも上手。夜泣きもほとんどしない。お腹から出てきても、ゆったり寛いでいるかのよう。へその緒セレモニーはできなかったけれど、元気な泰寛の笑顔が何よりの励みです。日に日に成長していく泰寛の姿に、限られた今の時間を大切にしようと思う今日この頃です。
『徳量寛大』この言葉を泰寛に贈ります。意味は大きくなったら自分で調べてください。でもまだ今はお母さんの胸の中でゆったり寛いでいてね。