【第12回】
~ 赤ちゃんへの手紙 ~
入選
家族がつながった日
徳島県 会社員 女性 28歳
「すごく大きいみたいだよ、赤ちゃん。3527gだって。」
姉のこのセリフを、今でも覚えている。
「仕事辞めて、田舎に帰る。」
あと半年仕事を続けて辞めると言った私の発言に、バリバリのキャリアウーマンの姉は反対しなかった。
私が田舎で公務員を目指すと言うと、勉強方法や、どういう試験を受けたらいいかなど、姉は自分のことのように調べてくれた。
公務員の勉強をし、試験を受ける日々。
試験を受けることに限界を感じていた時、恋人からプロポーズされた。
「結婚したい人がいる」と言った私。
突然のことに驚き、困惑し、反対する姉。
公務員の勉強方法や試験などを必死に調べてくれていた姉。
私の発言に落胆し、あまりのショックから、私の結婚について非難した。
公務員試験のサポートをしてくれていたことへの裏切りは心から詫びた。
それでも姉は私に対する怒りが治まらずに結婚を反対した。
負けず嫌いの私は、結婚を反対されたことで姉に腹を立てた。
そして私は公務員ではなく、民間企業に就職し、その2年後に結婚した。
結婚宣言をしてから、私は姉との距離が遠くなっていた。
実家で姉に会うことはあっても、どこかぎくしゃくと不自然な空気が流れた。
そして月日が流れて、私は待望の赤ちゃんを授かった。
「今から入院する」と母は姉に連絡した。
私の陣痛が始まったのだ。
我慢強いと自負していた私。
甘かった。
次第に強くなってくる陣痛。
あまりの痛みに、いきんでしまいそうになる。
何度もくじけそうになった。
「今どんな?大丈夫?」
陣痛室に飛び込んできたのは姉の声だった。普段休むことも滅多にしない姉は、有給休暇を取得して、車を飛ばして夜中に病院に駆けつけてくれた。
「痛いよ~痛いよ~。」
絶対に「痛い」とは言わないと決めていた私は、姉に声をかけられてあっさりとその言葉を口にした。
「どうしたらいい?」と姉は背中をさすりながら聞いてくれた。
横になって背中をさすったり、テニスボールでお尻を押してくれたら楽になると伝えると、陣痛が来るたびに、いきみ逃しを手伝う姉。
「いつですか?まだですか?」
私は意味不明の発言を助産師さんに投げかける。助産師さんも困っていた。
弱音を吐く私に、「大丈夫だから!」と励ます姉。
「もう分娩室にいきましょう」助産師さんに促された。
それから。
何度いきんだか覚えていない。
何度助産師さんに怒られたかわからない。
たくさん吸ってたくさん吐いて、赤ちゃんに酸素を送らなきゃ。
元気に生まれてきてもらうんだ。
何度もいきんだ。
「7時8分~!元気な男の子です!」
我が子は29時間に及ぶ陣痛と1時間の分娩の後、無事に生まれてきた。
「会いたかったよ~!」
分娩室でわんわん泣いた。
すぐにカンガルーケアをした。
手がある。足がある。目がある。口がある…一つ一つ確認して感動した。
元気な赤ちゃんですよ、と言ってもらえて、本当に嬉しかった。
目が覚めたら、姉がベッド脇にいた。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
「すごく大きいみたいだよ、赤ちゃん。3527gだって。」
計測を終えて綺麗に拭かれてタオルにくるまれた我が子が、姉と私の元にやってきた。
「29時間も陣痛あったのに。ご家族も大変だったでしょう。」と言われた。
姉は陣痛の間、ずっといきみ逃しを手伝ってくれたのだった。
「筋肉痛みたい。まだ若いってことだね。」と、姉は笑って手を振った。
29時間もいきみ逃しを手伝ってくれていたのだ。手を傷めるほど、姉は必死で支えてくれた。
姉に手伝ってもらって、息子は生まれた。
息子が、姉との仲を、とりもってくれた。
私と息子のために、必死だった姉。
再び家族をつなげてくれた息子。
家族がつながった2012年6月6日を、私は一生、忘れない。
追記
それからの姉の息子のかわいがりは、尋常ではない。
音楽を聞かせたり、絵本を読み聞かせたり、周囲の赤ちゃんがいる人に育児のアドバイスをもらってきたり。
母親以上に教育熱心だ。