【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
幸せの涙
愛知県 主婦 女性 35歳
私達の希望の光。だから光と名付けた。
ママ35歳、パパ50歳。東北大震災があった3月、パパの会社が潰れ、お金が尽きた。妊娠6か月だった。これから子供が産まれるのに、どうしようかと焦った。売れる物は売り、パパは一生懸命働いた。若くない分、体も疲れただろう。
こんな状態で、子供など育てられないから、堕ろそうかとパパに言ったら、怒られた。私も働いてパパを助けたかったが、それも怒られた。
「せっかく授かった命だから大事にしよう。今が一番大事なのだから」って。
光は私の3人目の子供。上の二人は父親が違う。パパも私も再婚で、年齢的にも妊娠など考えていなかったし、何より育児を一からやるなんて正直嫌だった。
私は上の二人を若くして産んだ。まだ大人になりきれていない私は、当時のパパと上手くいっていないのもあり、育児が辛くて仕方なかった。
育児とは、マイナス方向に考えれば、自分の時間、自由全てを奪い去られる事。一人きりで育児をしていた私は、そんな風にしか考えられず、育児ノイローゼになった。毎晩夜になると涙が止まらず、当時のパパとは毎日のように喧嘩し、子供達は、そんな私達を見て泣いた。
こんな事では駄目だと思った私は、長男2歳、次男1歳の頃に保育園に預け、働く事にした。しかし、育児家事に加え、仕事が増えた事で、更に時間が無くなり、私は気持ちに余裕がなくなった。もっと辛かったのは、朝、保育園に送っていくと、長男が毎日泣いた事。それを見て、私も毎日泣いた。保育園で風邪をもらい、肺炎にまでなり、息子二人とも入院した事もあった。
結局、上の二人の父親とはうまくいかず離婚。
そして再婚。子供達は気付けば中学生になっていたが、ここまで来るのに相当辛い思いをさせてきてしまったと思う。
だからこそ、光を妊娠した時、これは神様の思し召しだと思った。私の人生計画では、40歳で上の二人が自立するから、それから自由に生きようと考えていた。その夢が断たれたばかりか、せっかく楽になってきた子育てもまた一から。
けれど、そんな考えも一瞬で消えた。今の私には支えてくれる家族がいる。育児を楽しいと思った事のなかった私に、もう一度チャンスをくれたのだ。そう考えると楽しみで仕方なかった。
上の二人が早産だった為、予定日まで頑張ろうと、出産まで安静に過ごしすぎて、体力をつけるのを怠り、出産は今までの中で一番長くて8時間もかかった。陣痛も並大抵のものではなく、もうこのまま死んでも構わないと思うぐらいに痛かった。
けれど、その痛みを拭い去ってくれるかのように、赤ちゃんが愛おしくてたまらない。妹を欲しがっていたお兄ちゃん二人も、光が可愛くて仕方ないらしく、進んで面倒を見てくれるので、とても助かっている。
ある日、光の寝顔を見て涙が出た。お兄ちゃん二人は、年子だったのもあったが、自分の余裕の無さから、些細な事でも怒っていた。次男はあまり泣かなかったのもあり、抱っこすら殆どしてもらえず、長男に構い過ぎて放ったらかし状態で育ってしまった。次男には申し訳なかったと思う反面、光はみんなに可愛がられ、抱っこされ、何て幸せな子なんだろうと思うと、笑顔がこぼれてしまう。きっと私の心の中が幸せに溢れているからこそ、笑顔と同時に幸せの涙が溢れ出すのだろう。
光が産まれた事で、また一つ生きる気力が湧いた。人は守る者が増えれば増える程、強くなる気がする。そして長男次男に対しても、もう一度育児を見直すようになった。中学生と言えども、まだまだ私達の手助けがいる。そして愛情がいる。
昔は見えなかった本当に大切な物。愛、生命力、絆。そして自分に負けない強い心。ありがとう光。妹ではなかったけどね!