【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
笑ってくれて、ありがとう
千葉県 主婦 女性 26歳
「きゃっきゃっ」という笑い声が静かなICUに響いた。
娘の笑い声がみんなの顔を和ませた。
娘の命が誕生した同じ年、私の妹はICUにいた。
それは娘の誕生からたった2ヵ月ほど経ったころだ。札幌にある実家が火事になった。集合住宅の最上階である3階に父、弟、それに妹の3人が暮らしていた。
火元が実家だった。
11月、札幌はもう冷えてストーブをつけた。その火が周りのものに引火したのだ。気付いたときには3人それぞれの部屋の戸のところまで火が迫っていたらしい。ベランダもないのに、窓から逃げるほかなかった。妹は、熱さに耐えられず落下、骨盤骨折。幸い、父と弟は軽度の火傷で済み、他の住人の方もケガなく逃げることができたという。
私は2ヵ月になったばかりの娘をかかえ、夫とともに札幌に向かった。父とも電話で話し、だいたいの状況は教えてもらっていた。それでも自分の目で確認するまでは、不安は消え去ってくれなかった。
数週間ぶりに会った父は、笑顔を失くしていた。責任を感じていたのだろう。涙さえ浮かべて、うつむいていた。
反対に妹は笑っていた。心配かけまいと笑う努力をしているのが私にはわかった。余計苦しくなった。少しでも動くと痛むらしく、診察のたびに目を真っ赤に腫らしていた。
骨盤を固定するための大手術を控えていた。
手術前、妹は落ち着いていた。でもどことなく不安げで、周りの私たちも「大丈夫」と口にしながらもそわそわしていた。
妹はきちんと歩けるようになるか。将来普通分娩での出産はできるのか。
口数が少なくなり、看護師さんの話し声と機械音だけが響く部屋。
そのとき、
「きゃっきゃっ」と娘の笑い声が響いた。
満面の笑みだ。
妹も笑った。
父も笑った。
みんな笑った。
久しぶりにみんなが笑顔になって、その場が和んだ。
「行ってきま~す」
そういって妹は手術室へと出発した。
「あとでね、待ってるよ」
そういって私たちは送り出した。
あれから、9ヵ月。
妹は普通に歩き、仕事に復帰している。
父も、母も、弟もあの忌まわしい事故を忘れてしまったかのように笑顔を取り戻して生活している。
そんな大けがを乗り越えた妹のお腹には小さな「命」が宿っている。
きっとその「命」もたくさんの笑顔を運んできてくれるだろう。
娘はすくすくと成長し、1歳の誕生日を迎えようとしている。もちろん彼女は覚えていないだろう。でも私たちはあの時の彼女の笑顔、笑い声を忘れることはないだろう。
誰もが、救われた。
笑顔になった。
気持ちが軽くなるのを感じた。
「命」が助かっただけで良かったんだということを思い出させてくれた。
あの時、不安や恐怖でいっぱいだった私たち。
その場を和ませてくれた娘。
娘の名前は「結和」。
私たち両親の願いどおり、和を結んでくれた。
ありがとう、笑ってくれて。
ありがとう、みんなを笑わせてくれて。