【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
小さな体に秘められた無限の可能性
東京都 学生 男性 21歳
僕が十歳の時、従弟が生まれた。末っ子で兄しかいなかった僕にとってはとても嬉しい出来事だった。ちなみにこの時僕は中学受験に向けての勉強に飽きてきた時期だった。
伯母が退院してからしばらくして、赤ちゃんに会える機会が巡ってきた。勿論僕は喜んで会いに行った。そして、驚愕した。
まだ一歳にも満たない従弟の体は想像以上に小さく時折手足を動かす様は、例えが悪いけれども夏休みに飼っていたかぶと虫を思いださせた。肌は本当にプニプニで柔らかく、指でつつくと弾力があった。「張りのある肌」とはこういう事を言うのだな、と思った。
手も足も僕の人差し指と親指で摘めるほど小さく、下手をすると握り潰してしまいそうでさわるときは常に恐る恐るといった感じだった。
何より僕が驚いたのはそのオーラだ。怖いオーラ、妖艶なオーラ、今まで色んな雰囲気を持った人を見てきたが、こんなに神秘的で思わず手を差し伸べたくなる様なオーラを醸し出している人間は初めて見た。
授乳の時はよくみえなかったが、ほっぺたを必至に膨らませて、喉ボトケを動かす様子から、ああ、飲んでいるんだな、と思った。
寝ている時は起こしてはいけない、という事で近くにいさせてもらえなかったが、遠くから見てもその寝顔は本当に可愛かった。
よく赤ちゃんの可愛さを表現する代表格として、「食べちゃいたいくらい」というのがある。聞いた時はなんてえげつない表現だろうと思ったけれど、今なら納得できる。それ位に可愛くて、放っておけなかったのだ。珍しいという好奇心があったのは事実だが、それ以上に自分がそばにいてあげたい、見守っていてあげたい、と思わずにはいられなかった。実際僕に出来る事は何も無かったのだけれど…。
そして、その小さな体が大きく成長する事などとてもじゃないが想像出来なかった。自分と同様に、身長が伸び、体重が増える。幼稚園で友達が出来たり、自転車に乗れるようになる、そんな姿が僕には想像出来なかった。
そこまで来て、僕はようやく気付いた。赤ちゃんは一人じゃ何も出来ない。だから親に頼る。親が傍についていないといけない。あの愛くるしいオーラや仕草は親を引きつけるためにあるものなんだ、と改めて実感した。やっぱり赤ちゃんはか細く、頼りない存在なんだ。だけれど、秘めている可能性は無限大。
変な言い方だけれど、何も出来ないからこそ、何でも出来る。そう感じた。対する僕はというと、十年という年月を経て大分多くの事が出来るようになった、と思う。その分、出来なくなった事、消えていった可能性も沢山ある。でも、まだ十歳。赤ちゃんに比べたら少ないかもしれないけれど、まだまだ僕にも可能性は残されている。改めて頑張ろう、と思った。夢は努力次第でいくらでも叶うと赤ちゃんに教わったから。そう、赤ちゃんは無限の可能性を持っているだけではない。人に希望を新たなる可能性を見出してくれるのだ。そう考えると、やっぱり赤ちゃんは凄いと思わずにはいられなかった
そうこうする内に気がついたら大人になっていた。もうすぐ僕は社会人になる。もはや僕は何かに対する可能性を見出して実現していく人間では無くなった。早い話、児童が持つ「可能性」が無くなったのだ。だからといって役割が無くなったわけではない。今度は可能性を持つ者をサポートしなくてはならない。両親が僕にしてくれた事を、今度は僕が次なる世代の為に全力を尽くすのだ。それが後どれくらい先の話かはわからないけれど…。
きっとそれは大変な事に違いない。けれど、やらなくてはいけないし、やっていけそうな気もする。あの天使の笑顔が見られる限り…。