【第11回】
~ 赤ちゃんがくれるチカラ ~
入選
父親になるということ
長野県 会社員 男性 37歳
「さっき無事飛び出してきたで~」
いかにも関西人らしい妻からの軽いノリの出産報告を携帯電話越しに受け、父親になるというのは意外とあっさりしたもんだな、と若干拍子抜けしつつもとりあえずほっとした私は、いそいそと出発の準備を始めた。
私の転職と出産のタイミングが重なったこともあり、妻は実家の神戸で出産することを選択し、予定日の1ヶ月程前から帰省していた。お腹の大きくなった妻が目の前からいなくなってしまったせいなのか、新しい職場に慣れることで精一杯だったのか、久々の一人暮らしとなった私には、もうすぐ父親になるのだという心構えや覚悟といったものが正直皆無だった。仕事を終えて帰宅した後、妻から厳命を受けていた「名前決め」の作業に取り掛かり、候補をいくつか並べてみるものの、どうもしっくりこない。休日には、事前に揃えておきなさいとこれまた妻よりきつくお達しのあった、ベビーベッドやベビーバス、ベビーチェアーなどを見繕いに行っても、何だか居心地が悪く結局手ぶらで店を後にする。それならばと、「寂しくなったらこれをご覧なさい」と妻が置いていった胎内のエコー写真を食い入るように見つめたり、逆さにして眺めてみたり、ひっくり返して透かして見ても、ちっとも自分の息子に見えてこない。もしかして、自分は存外薄情者なのかと疑いたくなることもしばしば。挙句の果てには考え過ぎて、父親になるのだという期待感よりも、本当に父親になってしまって大丈夫なのか?ちゃんと子供に愛情を注げるのか?という不安が頭をもたげる始末。
そんなこんなで毎日を過ごし、出産当日「今陣痛が始まったよ」という義母からの連絡を受けてもなお、私の中にはまだ、それを他人事のように感じている部分があった。冒頭の妻からの電話を受けた後、神戸市内の病院に向け高速道路を一人で運転しているときも、何となく気はあせっていたものの、いつもどおり、通いなれた行程を普段通りのペースで走っていたように思う。
病院の駐車場に車を止め、こんな時はどんな顔をして院内に入っていったらいいのだろうとグズグズ考えつつも車を降り立ったときだった。病院から出てきて帰途に就こうととしていた看護師さん数人が私の車のナンバーを見てこちらに引き返してきた。「もしかして笠原さんですか?松本から旦那さんが駆け付けるって奥さんから聞いていました。おめでとうございます。」「名前はもう決めましたか?」「お父さんに似ているかな、お母さんの方が似ているかも」と次々にお祝いの言葉を掛けてもらった。堅い笑顔で曖昧な受け答えをしているうちに、突然、一刻も早く妻と息子の顔を見たいという強い思いが生まれてきた。「今赤ちゃんはお母さんと一緒にいるから早く行ってあげて下さい」という看護師さんの言葉を受け、私は挨拶もそこそこに小走りで病院に向かった。受付で病室の番号を聞き、階段を1段飛ばしで駆け上がり、色々考える間もなくノックしてドアを開けた。
パジャマ姿の妻の脇に、真っ白な産着に包まれた小さな、本当に小さな息子がいた。少しやつれた顔で「遠路はるばるお疲れさん。」という妻には、何て言っていいか正直分からなかったけれど、やっと顔を見ることができた息子には自然と声を掛けることができた。
「脩司くん、お父さんだよ。はじめまして。」
このとき、自分の中の父親スイッチがパチンと音を立ててONになったのをはっきりと感じた。父親としての自覚を持つことができたと感じた瞬間だった。まさにこのとき、自分は父親になれたのだと思う。
「どうも実感が湧かないんだよなあ」と感じておられる、もうすぐ父親になられる皆様ご心配なく。生まれた子供の顔を見たそのときから、間違いなくあなたも父親になれます。実感を持つことができます。但し準備は怠りなく。結局ベビーベッドを買えなかった私は、後から妻にしっかりお灸をすえられました。